比較や分離から

統合するといいながら

わからない人は取り残される

というように

分離と比較をしていることが多い


また説明するのが、非常に難しい

現象でもあるため

手放すことに執着する

というようなことにも

なっている人もいるように感じる


こっちの方が良いと思っていることを

発信するとき、確かに最も俯瞰した

視点から良いとされる現象であっても

それを発信するのが人間であれば

ある程度の感情とその人固有の表現

方法によって、誤解が生じる。

相手が同等に知識がなければなおさら


でも発信する側がそこまで気を使う必要も

ないし、結局は伝わる人にだけ

伝わればよいという観点からすると

その誤解もあっていいし、

もしかしたらそれはそれで

理解を深める人もいるので

上からしたらオールオッケーなんでしょう。


まあ、何が言いたいかというと、

自分自身は、本当に最近まで

現実世界で感じていた周りの価値観

に対する義務感のようなものを

目に見えない世界でも感じていたという

だけのことです。


私はまだ理解が足りず、

アセッションの素晴らしさを

分かっていない。


けど、あまりにも多くの人が

言っているのでそうしなければ

いけないと思ってしまっていました。


でも、そんなことそもそも考えなくて

いいんですよ。



必要ならば与えられます。



毎日を死に物狂いで楽しんで、

苦しんで、泣いて、笑って、

迷って、ぼっーとして、

何かしたり、しなかったりで

それでいいんですよ。



その結果、自分が統合された世界に

辿り着けないのだとしても

それもそれでありなんですよ。

結果的にそれはありえないんですが



世界はそんなに不寛容なのでしょうか。

上の方はそんなにも自分勝手でしょうか。


特にインディゴといわれる方は、

漠然とした焦燥

→漠然とした役目に対する義務感

をもって生まれてきているため。


そういうものに引っ張られやすい

そんな風に感じています。


失敗があってもいいんですよ。

これが最後の転生だったとしても。

そんなに気を張っていたら

できるものもできない。


執着したっていいんですよ。

その苦痛を味わえばいい。

それも設定してきんだから。

寄り道してもいいし。


ときにエネルギーが下がったっていい。

ときに成長しなくてもいい。


私やあなたが今を生ききれば

エネルギーも運も成長もしているよ。


遅れたって大丈夫さ。






って、最近自分に言ってます。


勝手なことばかり書きました。