瞑想をしていたら、後ろに人がいるようなイメージが浮かんだ。
それは、自分を客観的に見ている自分でもあり、自分の前世であり、自分の祖先でも、あるようだ。
今日のことを少し客観的に考察してみる。
辛いなぁと思った気持ちを受け止め、なんで辛いのか考えると、それは相手が真剣に頼んでいることに自分はさして重要性を感じることが出来ず、見落としてしまい、叱られたからだ。
こちらにも言い訳はあるが、それは相手に関係ないし、相手が納得するのであるならばそれで良いだろうと思うので、今回のことは私が謝ってそれでいいのだが、それよりも問題なのは、注意されたことについて、これから注意するほど、この仕事に対して、会社に対して、私の気持ちがないということである。
なぜか。
今の私の状態は、人様に気を配れるほど集中力を持ち合わせていない、とおもっている。私の魂と体が破壊と創造を繰り返しているのだ。
霊的には、魂の覚醒と体の浄化により、次の世界に向けて急激な変化をしているようなのだが、現実はそんなことどうでも良いと思えるほどの悪化していく痒み、続く睡眠不足、体の痛み、記憶の欠落、自身の喪失、集中力の欠如があり、人間を運営していくだけで精一杯。
自分の1人の人生でさえ、突然の事故にあうこともある、突然霊的な覚醒が始まることもある。
よって、自身がこのような状況を経験していると、事業などもなるようにしかならないという風に思うようになる。
必要がなければ潰れるし、必要であれば生き残るし、でもその方法は様々で商品は残るが今いる人間は1人もいなくなることもありうると。
それはそれで仕方がないのだ。
100年経てばほとんどの会社は残ってはいない。
今生きている人ですら、100年経てば1人も生きてはいないのだから。
志もなく、過去からの惰性で不安から行う業務や事業ならやらない方がよいし、志が、あったとしても、それが本当に良いものなのか、悪いのものなのかは未来の人たちが決めることであるので分からない。
しかし、遠い未来にまで残ることになるのならば、それは必要なものであり、少なこともその時代までは良く作用したということになるのではないかと思う。
たかが数字で右往左往することはない。
それよりも現世、現代において、その仕事がどれだけの人の為になるかということを考えて、信じて、誇りを持って日々精進してほしいと思う。
勝手なことばかり書きました。
今日は自分の整理用です。