武士道には、死して生きるという考え方があります。日本人はなぜこの感覚を忘れてしまったんでしょうか?(自分も含め)
ひと昔前の時代では死とはもっと身近なものだったと言われる方もいますが、本当は今でも身近なものなんだと私は思います。
死とは、自身に差し迫る死だけでなく、親兄弟、友達、同僚の死、自分があったこともない有名人の死、人間だけでなくペットの死なども含めるとその人によって身近な死は、とても多くある。また、自死を考える人も増えている。
特に、今の時代のように情報化社会では、以前の職場の同僚、上司、部下や学校の先輩、先生など今では離れてしまった関係であっても、その情報すぐに知ることが出来る。
死を考える機会はそれほど減っていないはずです。
しかし、死に対する「不安」だけは増大しているように感じます。健康番組やサプリ商品は、ひと昔前まで無かったはずです。
死に対するイメージは、生き様という言葉のようにその人の死のその先へを生きる人々へ示す死に方という外側に対する積極的な意味合いから、殺される、病気に侵されるといったより肉体的で、個人的、内側な受動的な意味合いに変わっていってしまったように思います。
それは戦後塗り重ねられた日本的ではない思想や概念、信仰、主義によるものの影響が多いのでしょう。もちろんその恩恵があって今の日本があるのも事実でそのことも忘れてはいけません。
ただ、我々は苦難の平成が終わり新たな年号が始まるこれからのために、近代日本の始まりである明治が始まった150年前、明治天皇が示された武士道をもう一度この心、精神に込めることが大切なのだと思います。
死をもって生きること、それが私に示された使命の一つでもありますので、現時点での私の考えをここに記したいと思いました。
私自身まだまだ現世の不安に囚われて身動き取れなくなることも多く、情けない限りですが、その情けない、何もできない、恥ずかしい自分をたくさん経験させていただいております。
死にて尚生きる
楠木正成であっても、全て苦悩なしで貫いてこられた訳ではない。
それは、三島由紀夫であっても同様ではないかと思います。
苦悩と覚悟を持って生き、だれか(君主)、何か(国)の為に死ぬ=生き様
そのように生きた人が、かつて日本にいたことを思い出し、その考えそのものを真似る必要はないが、その精神、志の立て方は、見習いたいと思います。