【長崎には被爆樹木と呼ばれる木々があります】
長崎には、原爆の爆風や熱線を耐え抜き、今も生き続ける50本の「被爆樹木」が存在します。
1945年8月9日
長崎に原爆が投下され、爆心地から約800mに位置する山王神社は本殿をはじめとする一切の建物が倒壊しました。
大きなクスノキも枝や葉を吹き飛ばされ黒焦げの太い幹だけが残り枯死したと思われました。
被爆直後の2本のクスノキ
しかしその後クスノキは、再び新芽を芽吹いたのです。
蘇ったクスノキは復興のシンボルとして、その生命力は被爆者たちを勇気づけ心の支えとなっている
ということを知りました。
写真はクスノキプロジェクトから頂きました。
山王神社は祖母の妹(大叔母と呼んでいました)が入院していた原爆病院の近くにあります。
歩いて15分くらいだったと思います。
看護師だった大叔母は原爆投下直後から被爆者の方たちの看護に従事し、親戚の中で最も重度な被爆症状がありました。
大叔母に会いに行った帰り道、父は必ず山王神社に立ち寄りました。
クスノキの幹に手をあて、何かを語っているのか何かを受け取っているのか、しばらくその場から離れません。
子供の頃は不思議で仕方なかった光景です。
私はただ父の横で同じようにクスノキに触れ、ただ父がその場から離れるのを待つだけでした。
なぜ山王神社へ寄るのか
なぜクスノキに会いに行くのか
父が何を思っていたのか
父は被爆体験についてほとんど語りませんでしたし
子供の頃は聞いてはいけないような気がして聞けませんでした。
そしてもう父から話を聞くことができなくなりました。
大叔母が亡くなってから山王神社へ行かなくなりました。
長崎クスノキプロジェクトの存在を知り、あの頃父が山王神社へ立ち寄った理由が今更ながらわかるような気がします。
山王神社へ行こう。クスノキに会いに行こう。
今ならクスノキと語りたいことがたくさんあります。
山王神社の被爆クスノキ(現在)
あの日、あの時を人類が忘れないために
被爆二世としてできることは伝える続けること
長崎クスノキプロジェクト