大金を稼ぐ能力が、自分自身に無い事を知っている。長年生きていればそれぐらいわかる。
現状は年金とアルバイトだけを、暮らしの頼りにしている。
その事に対しての、言い訳にならない言い訳を話せば、4歳のときに見た父が母へ振るう暴力がある。
その残像は高校生の終わりまで、トラウマとして糸を引く。何故なら天井がグルグル回り始めるからだ。
花粉症という病名が無い時代、風邪と判断され、幼年期から毎年風邪薬を飲み続けた。20年前には、これも現代的な病気、無呼吸症候群と診断された。シーパップは体重を落とす事で、外す事が許された。だが完治はしていない。夜中に何者かが首を締め付けて、呼吸が出来ない症状は今もある。
現在は境界型糖尿病であり、血糖値の薬は飲んでないが降圧剤を服用している。エコーによる動脈硬化は小さなプラークが見られるが甲状腺腫も心配なし。又咳が長引きCTの検査から、アレルギーから来る咳喘息と診断され吸入器を使用している。
これがオレの既往歴と精神的疾患である。健康な方だ。
年齢の割には身体は動く方だ。2024年の2月まで空手を続けていたが、血圧が高いので中止した。
しかし呼吸器内科で肺年齢の極端な低下を指摘され、体力に自信が有る故、口惜しくて1日6キロのウォーキングを始めている。
これを収支バランスとして考えると、収入が無いのに余計な支出ばかり増え、過剰在庫を抱えているようなものだ。
どうする?
これでは自分が朽ちるのを待つだけだ。
しかも最近よく過去の失敗事を思い出す。
どうにもならない過ぎ去った時間を思い出し、何故あの時こうしなかったのかと、自分を問い詰め攻撃する。仮定だがその先に鬱病の発症を感じるので、もうやめようと自分を促す。ところが促しても止まらない。とことん追い詰め始める。病的だと心底思う。
家内に否定的な話をされると、いつまでもその言葉に取り憑かれている。何かで発散したくなる。
愛人に快楽を求めれば、取り敢えず心の動揺は一旦止まる。
では他に何が残っている?
仕事にもならず、肉体も病んで、精神も病んで、
では残ったものは何か?
鬱病と考える前に、それを木っ端微塵に出来る事はないだろうか。
ふと脳トレなんてどうだろうか?と考えた。
直感や感情と対立して、論理的思考を身につけられたら…少しは落ち着くのではなかろうか。
稼ぎも駄目、身体も駄目、心も駄目なら、唯一残って使えるのは脳しかない。
始めてみようと思う脳トレを。