荒木又右衛門を主人公とした小説 と言うよりは徳川二代将軍秀忠治世下の武家の群像劇とも言える体裁である。
 実際にも この小説読み始めても荒木又右衛門はなかなかに出てこない。出てきても断片的な描き方で それらの多くは或いは他の作中人物の眼を通して語られる 伝聞的記述に過ぎない。しかも傍証的記述として縦横な歴史的資料を駆使した記述が 逆遠近法とでも言える小説的構成を補強する。
 かかる長谷川伸の独特の小説作法はそれだけに作家の想像力に頼る事なく仇討ちの仔細を述べる長谷川伸の考証力は並々のものである。
 下巻に至ってドラマはようやく又右衛門を中心に動き始めるのだが、仇討ちの成り行きを描いた下巻よりも 仇討ちの前段を描いた上巻の方が優れている。痴情事件に端を発した出来事が如何にして幕藩体制を揺るがす大事件に発展したのか?の考察が 言い換えればこの小説の真の主人公である。


 最後に当該の仇討ちに就て書くと 仇討ちとは卑が貴のためにすることーーつまり仇討ちとは親を打たれた子が あるいは兄を打たれた弟がするためであって その逆はない あるいはそれは非道である と言うのである。

 『荒木又右衛門』の事件の経緯は 弟を殺された当主の兄が如何に行動するかが家族 あるいは家族を超えた一門の課題としてあった。家族の一人を打たれた無念さは一門の恥辱として果たされない限り世間体としても成り立たない。にも関わらず 心情のままに あるいは世間がみる見方のままに行動すれば それは武士道としては非道である と言うのである。

 つまり行動は理屈として正当化されなければならない。そこでまた右衛門以下が考えた屁理屈が、当該事件を藩の恥辱として死んだ藩主の遺言として それを果たす事が仇討ちの概念に該当するとすると恣意的な解釈 つまり上意討ちの概念を導入する事であった。つまり、殺された弟の無念さを一族一門が晴らすのではなく、藩主の遺言を果たす上意討ち!だとしたのである。

 しかし いずれにしてもどう解釈しようと 不自然なものは不自然なのである。ところが人間というものは 行動原理を恣意的な合理化の論理でも良いから正当化し得たものとそうでないものとの間には著しい差を産んでしまうのである。渡辺一馬や又右衛門の一門にーー赤穂浪士の場合と同様 追われる河合側に、最初から勝ち目はなかった。しかし 例外も存在した。それを以下に述べる。


 仇討ちと共に面白いのは 一門に駆け込んだ弱者は保護する義務が生じると言う封建武家社会の論理と奇妙な論理である。奇妙と言うのは 当該の弱者が問答無用の殺人を犯していても、その窮如何を問わず 無条件に保護されるべきである と言うのである。窮鳥は無条件に助けなば男の義理が立たない!だから 例えばそれが駆け込んだ先が御三家などの家柄であれば手も足も出せなくなる と言う仇討ちそのものが成り立たないと言う超法規的な倫理が存在したのである。仇討ちも義理も人情も超越した武家社会の規範意識が存在したのである。

 これは 或いは 徳川の強固と思われた幕藩体制下にあっても こと倫理と武家の規範意識に関しては藩と藩を超えた論理は存在しなかった事が窺われるのである。江戸の強権的に思われがちな絶対主義下の体制に於いて それが及ばない規範意識が存在したのである。

 これは戦国時代の自治の気風 と言うか つまり彼らの武士としての気概をこう言う形で公儀に対抗させていた とも思えるのである。武士は食わねども、の意識である。気概である。

 しかし これもまた不自然な論理と倫理なのである。しかしながら長谷川伸の論理はかかる不自然を裁断する事ではなく かかる不自然が如何にして長期間慣習として慣例として或いは伝統として守り育てられて来たかの合理的な根拠の究明にあった と言うべきだろう。

 一個の生の軌跡が象徴性を帯びる とはこう言うことなのである。