この象徴的な映像は 井の頭と言うよりも吉祥寺のトーン!階段を上がると左手に進んだところにふじこヘミングが好きだと言うオーナーの小さな画廊があって、待ち合わせまでの時間を少しお話ししました〜呼吸と間合いと鍵盤の押し方!

 会話のテンポまでが 懐古と懐旧が入り混じり、なにかふじこヘミング風でした。


 過ぐる年 右手の道を曲がったところにいまもある公会堂でLiveもあった とか。ステージ脇のカーテンの陰から立ち去っていくわたしたちに手を振って見送ってくれたお茶目なところがあったと言う彼女の面影!

 話を聴いているうちに当時の思い出が重なり合い髣髴としてきて感傷的な気分になりました。しかし それらの事どもも あれらの事どもも すべていまはむかし、となりましたが〜。


 この階段のある風景もまたあの風景もまた 私の過ぐる人生のシーン幾つかの場面の数々もまた あたかも遠眼鏡で見るかの如く いまとなれば 時の円環に閉ざされ 無情にも非情にも隔離された あの銀幕の奥の奥の遠く覗き見るスペイン階段の踏段のセピア色に色褪せた白亜化したフィルムの輝きにも似て 流れ去る時間は寂幕のなかのもの言わぬ静寂と化し 懐かしい記憶と追憶の彼方となりました。




 吉祥寺の町がいまだにこうした雰囲気を保たせているのは この街の駅が 改札口が 長いプラットフォームが 現在の東京では珍しい 終着駅の雰囲気を残しているためではないでしょうか。対面 対向する 井の頭線の渋谷口を除いて。