「人類が最も幸せであった時代」とは 同時に人類が宗教と関わること 最も少なき時代でもあった。

 「人類が最も幸せであった時代」とは 危うい相反するアナーキーと暴力が相殺する これまた危うい力学的均衡の上に成り立つ社会でもあった。しかし これを社会と言いうるのだろうか。元老院は皇帝の協賛機関と化し 皇帝のパーソナルの上に成立した私人政治ーー我が国を例に取れば戦前の貴族院と天皇の翼賛機関が領導した 神権政治と軍人政治への危険を孕みつつある辛うじて哲人政治や皇親政治の名残りを留めたローマ皇帝によるローマの統治形態とは何に似ているのだろうか。アメリカ合衆国の上院と大統領の関係にも一部似ている。

 しかし少なくとも五賢帝の時代までは天皇制のようなアジア的神権政治 専制主義に落ちいる事はなかった。

 私はここで プラトンやアリストテレスの嘆きを思い出す。あろう事か彼らが最も危惧したのは民主主義なる衆愚政治の弊害であった。平等の名によって自由が抑圧される社会 観念的、抽象的平等の名に於いて密告とデマゴーグが幅を効かせる社会!晩年のプラトンは哲人政治の理想に賭けて自ら燃え尽きたし、アリストテレスもまた貴族制 或いは寡頭制によるエリート政治によって次善の、悪を制するべき統治のあり方を、可能性を構想したと言う。

 ローマの五賢帝の時代とは かかるギリシアからローマに至る 王政 貴族制 寡頭制 共和性 民主主義の諸段階を受けて やがては軍事政権 アジア的神権政治へと頽落していく人類史の一齣に咲いた 幻の夢にも似た それでいて生々しい生きた人間の営為と記憶なのである。