以下は、フランスで製作されたドキュメンタリー映像の正確な紹介ではなく、この映像作品をみながら感じた私の感想文です。

 

 

 19世紀のパリとは、フランス革命とナポレオンによる帝政期を経て七月革命 二月革命を経てパリコミューンに至ってパリの街区が壊滅状態になるまでの激動の時代ですね、

 この時代は フランス社会内部の動乱による街区の破壊とともに、中世以来の街並みがオスマンの都市計画によって整除されていった時代でした。つまり、ナポレオン三世による第二帝政期に於いて現在のパリは形作られると言うのですが、実際には先述のパリコミューンの戦禍と混乱によって殆どが破壊されたようですね。

 パリコミューンとは プロシアとの戦いに敗れたフランスが その占領下と敗戦処理をめぐってパリ市民が蜂起するものでしたが、プロシアの占領下に於ける労働者と旧体制下の残存勢力との対決と言う意味では プロシア軍にとっては戦後のフランス残像勢力同志の同士討ちともみえる現象でしたからほくそ笑みを漏らしたに違いありません。

 結局 史上初の労働者政権はプロシアと言う大きな保守勢力の囲い込みの中にあって旧体制側のベルサイユ軍との戦いに敗れていくわけですが、この動乱の時期にパリ市民の多くが戦禍の中に消えて行った事を思うと パリ市民の内容そのものが入れ替わったとも言える変動を経験した事になります。偉大なるフランス革命を経験した現役セ世代が姿を消した後のパリとは何であったっか?という問いかけでもあります。

 労働者階級の市民が動乱の中に途絶えた後に 破壊された街を徐々に、また再びオスマンの都市計画の構想に従って再建されていったのが現在 私たちが知るパリの文化と言うものの正体なのでした。つまり人類史の夢が敗れたのちに、夢と理想が潰え去った後に 復元的に再建された伝統らしきもの それが所謂フランス文化の中身と言う事になります。

 バルザックは その19世紀パリの前半の三分の一ほどを エミール-ゾラはそれに続く世紀末と呼ばれる頃になるまでの時代を プルーストはパリ市民が入れ替わったのちのパリを、恰も全くそんな動乱と革命によって破壊されたフランス史の記憶がなかったかのように 大々的に復元されたフランスの伝統文化による新古典主義の時代を描き出しているのです。

 歴史と文化を形作るのは 幻想と記憶による人類の復元作用のごときものなのでした。

 プルーストの『失われた時を求めて』に描かれた貴族やブルジョワの人間模様も あたかも中世以来の伝統の後光を纏うかのように描かれているけれども、数度の革命と内乱を経て真の貴族や王族やそしてブルジョワジーや市民が入れ替わった後の 成り上がりのものたちによる、復元されたフランスの伝統社会の姿なのでした。

 大事なのは 復古主義をどのように理解するかということ、実際には旧体制の貴族や王族 そしてブルジョワ階級の人々が血統上の意味では歴史の波の彼方に姿を消して行ったとは言っても 民族の不思議な復元作用が働く 幻想と記憶の神秘的な力についてなのです。

 

 マルセル・プルーストが描く世界とは、事実認定の方法としてのいわゆる実証主義的方法ではなく、事実や現実を超えた想像力というものに秘められた人類の神秘的な方法、能力についてなのです。

 

 

オノレ-ド-バルザック

 1799年5月20日 - 1850年8月18日

 

 

 

エミール-ゾラ

1840年4月2日 - 1902年9月29日

 

 

 

マルセル-プルースト

 1871年7月10日 - 1922年11月18日