吉村公三郎監督+新藤兼人脚本の映画を観てまいりました。

 溝口健二の『祇園の姉妹』へのオマージュと言われる作品だそうで かつて 溝口作品では木暮三千代と若尾文子が健気な花街の姉妹を演じていました。他方 こちらの姉妹の姉は挑戦的です。また妹の方も 姉の意気に励まされるようなかたちで 肩を押され、新しい時代の世界に踏み出していく姿は歴史を感じさせます。


 古い因習に囚われた京都の花街 そこに暮らす姉妹とその母親の一家三人の暮らしを描いた映画ですが、古い因習と伝統と仕来りに従い(母親)或いはそれぞれに対照的なあり方で逆らう(姉妹)の生き方の、それぞれの三者三様の対比が、昭和がまだ若かった頃の名残りを留めて新鮮です。

 日本人とは、こんなにも若く 瑞々しい時代があったのですね。


 


 ドライで現代的な生き方をそのまま表現し生きてみせる京マチ子演ずる姉もまた映画の終盤では家族思いの凛とした女の生き方を貫く存在であった事が分かって 裸一貫で生きてきた花柳界の女の潔さと新しい戦後と言う時代のモラルがマッチして年代史的表現に輝いています。京マチ子の肉感的で華やかな表情もまた ならではの表現の粋と域に達していた と思います。









 また 昭和二十年代の頃の 戦火を免れた京都の古い 懐かしい映像の数々も魅力的です。鴨川の松原橋の辺りから見る鴨川と比叡 東山のたおやかな峰々の連なり 堀川通りの古い市電が走る風景 祇園や先斗町の路地の石畳の輝きと低い甍の連なり、取り分け最終場面の刃物を持った男に都踊りの衣装のまま追い回されるかなり長い追い廻しのシーンに 京の町屋の美しさは劇的に 如何なく描かれていたと思います。

 京マチ子の哀しくも妖艶なる雰囲気と京の古い美しくも哀しく愛しき映像の歴史的表現に乾杯です。