関ヶ原合戦のキーパーソンだったかの小早川秀秋に縁の旧名島城城門の遺構が紆余曲折の歴史的運命を潜り抜けて残されている事にはいつも感慨を覚えます。

 城門のデザインは かの秀秋の優柔不断さとはかけ離れた戦国武将の武骨さと気概を感じさせます。






 大扉脇の潜り戸 左手の格子戸付き小窓から不意の来客の可否を判断する会話が交わされたのでしょうね。

 そう思うと 何か生々しい臨場感が感じられます。



 城門の内側はこうなっていました。

 不意の訪問者には、敷居が高いですね。



 城門の横顔は、秀明の履歴経歴にも関わらず綺麗でした。

 小早川秀秋、本当に軟弱で優柔不断だけが取り柄の武将だったのでしょうか。

 滅ばされる側にあった豊臣がたにも二手あって 彼はねね方を代表する武将の一人ではありました。