あれから13年 遠くに暮らして被災はしなかった私の目にも 半世紀以上も生きてきた世界観 価値観が あの日を境にがらりと変わりました。

 あの日 あの時 私は大分県の臼杵土木事務所で打ち合わせの最中でした。速報が入ると共に 事務所の災害用のテレビに釘付けとなりました。打ち合わせは非常時の決意にも似た予感のなかで そそくさと切り上げられたのだと思います。

 遠い遥か遠くの九州東海岸 とは言え 豊後灘にも津波が予告されているので 海岸線を頼りなく走る日豊本線の不通情報を気にしながら福岡の自宅まで帰宅を急ぎました。今までにも 雨風で容易に不通になった事もよくあったのです。

 夜 福岡の自宅に帰ってからも数時間が経つのに、メディアが伝える情報は不明瞭 不確かで 現地の映像は流れず、横浜の液状化の現象や千葉のコンビナートの火災現場が映されるだけなので、てっきり被災したのは東京と近傍の関東圏かと思ったほどでした。高度情報化社会などと言われているのに、国内の出来事さへパニックに晒されると 不安な もどかしいまでの聾桟敷の状態に置かれるのかと 後には思ったものでした。

 そして深夜になって地獄のような映像が流れて来たのです。


 あの日あの時の事です。