(以下の文章は「『金閣寺』の真の主人公は誰だったか」の 前半「概説」部分の分割 再録である。序文のつもりで追記したのだが長くなり、読み手にとっては後半の「本文」まで辿り着くまで次数を要するため。また これだけでも論旨を展開した作文になっているため 独立させることにしました。)





 三島由紀夫の『金閣寺』は長らく至高の美なるものをめぐる生死の人間劇として読まれて来た。青年を追い詰めたのは周囲の過剰なる期待であり 他方 過ぎ去って逝く歳月 戦中から戦後へと向かうモラトリアム期への郷愁が作家の側には重ねられてあった。ここには国宝を焼く!と言う行為の異常さを除けば尋常ならざるものは何もない。青年の心理の背後には寧ろ戦後の平和と復興と言う異常事態?の如きものがあった。評論家の磯田光一などはここに三島の戦後文学に於ける個性 特異点を見ようとするのだが、そのような戦中派の戦後観など元来 とるに足らないものなのである。

 『金閣寺』の近代文学としての問題性は、戦後の平和 復興と繁栄 豊かさを望まぬ怨念の歴史の影と翳りが付き纏う一人の男の生涯があった と言う点であろう。いっけん正反対とも思われる三島の恵まれた環境や華やかな履歴と 戦前-戦中-戦後の「不幸なる意識」の翳りが如何にして野合的?に交わったのかの仔細を詳らかにし得ないが、彼はある時は怨念と対局 対峙し、或いは親和性に溺れ 極端な感傷性の果てにシンパシーの淵に沈んだ。それが三島由紀夫の生涯だった。まるで己が代表作をなぞるかのように。三島ほど己の文学の最良の読者はいなかった と皮肉ではなしに言えるほどの芸能人風の熟達熟練振りなのである。

 三島由紀夫と『金閣寺』の青年に共通するのは、金閣を焼き市ヶ谷に決起したと言う異常事を除けば、心理的には異常なものはなにもなかった。異常なのは歴史の影の部分を置き去りにする時代と社会と民意の方だった と言いたかったのかも知れない。

 

 戦後と言う時代は 三島の市ヶ谷での不完全燃焼に終わる決起で真の意味での幕を閉じたように思う。三島は色々と語リ言っているけれども、『金閣寺』や『豊饒の海』の一連の連作に典型的に語られる彼流の「神々の黄昏」の物語があって 決起する内的要因は彼の内部で既に熟していた。他方 安田講堂攻防戦に見るように六十年代の政治的季節は終わろうとしていた。彼の心情としては非近代を憧憬する乃木希典の自裁劇に近いものがあったかも知れない。或いはそれ以上に彼は時代精神に殉じた青年たちの一群の群像たちの影に5-15や2-26 或いは神風連の早世と夭折の幻影を見ていた。つまり内外の要因が『奔馬』の奔流のように三島の内面では沸騰していたのである。

 死に遅れてはならないと!


 三島由紀夫の死は、造花にも似たグロテスクな人造の血塗られた花束ではあったが 平和の時代に於ける死者たちへの彼なりの餞でもあった 市ヶ谷での平和の時代に於ける死 平和の最中に於ける死は 反転され裏返された戦時の原体験のネガフィルムに他ならなかった。芝居仕組みは戦中に既に完了したいたのである。シナリオを如何に巧妙に仕上げ 如何に華麗に彼自身が演じるかだけが残されていた。