宮地嶽の記憶は、郷里の、いまはない町屋風の我が家の神棚に宮地嶽の神様たちを描いた掛軸が飾ってあったことを思い出します。当時、幼いながら、宮地嶽ってどこにあるのだろう、と思ってきました。父の先代の祖父は大工を家業としていたらしく、家運の興隆を願って遥々熊本からこの地まで祈願に出向いたのでしょうか。定かではありません。
 大工だったというその祖父の記憶はないのですが、借財を残して大成することなく亡くなったようです。父は返済に大変だったにもかかわらず、その気配は微塵も感じさせないものでした。それにしても歳をとったせいか、最近はその父のことだけでなく、祖母のことをよく思い出すのです。
 私の大成を願っていた祖母、その私も大成することはなく、かといって失敗した人生だったというのでもなく、ほどほどのところで終了しそうな気配です。そのほどほどの人生の程を、その祖母に見せたいと思うようにすらなっているのです。そしてなんとしてもお世話になったことの思いを何としても述べたいと思うのです。
 翻って鑑みるに私とは一家の父親としての私があります。世間に認知されている私ですね。その代表としての私のほかに、社会人としての私には解消できない個人としての私があります。そしてその両方の私とは別に、家を通して祖先に連なる祀るものとしての私が存在することを昨今は感じはじめています。
 
 
 
 神社は、節分前の準備の時期でした。