清水眞砂子さんの講演会に行ってまいりました。

 清水さんのプロフィールは多様ですが、児童文学者としての経歴の他に大学で教鞭に立ちながら国際会議などにも参画されていたことなども知りました。特に、敗戦後の朝鮮からの引揚のご苦労話を通じて、ひとが生かされてある、と言う語感に伴う受容性の感覚が彼女の感受性の基調になっていることをしりました。

 

 清水さんによれば、「もの」や「こと」に反応するのではなく、「もの」や「こと」以前の細やかな日常のこころの感受性の動きをとらえることこそ必要な人間としての条件、ということになります。時間の流れと生成の道筋が、「もの」として物象化や、「こと」として対象化される以前の未然の状態の大切さを言いたかったのだと、了解しました。

 

 講演会のなかで一番印象的な言葉は、「人生に何を期待するかではなく、人生が自分に何を期待しているか」というピーター・フランクルのお話を紹介されました。主格がもはや「自己」や「人間」ではないのですね。乳癌を克服され、闘病生活の過程から学びとられたものだと思いました。