・ 柳田国男がある本の中で言っていることですが、親は子供を可愛がると云う自明視された慣習は案外古い起源を持っていなかった、そんなことを書いています。またある英文学の批評家は今日ディケンズの本などを読んで子供が虐待されているあからさまな描写に素直で直な憤慨と云う反応を見せると云うのですが、今日で云う、子供、と云う概念が成立していたかどうか、疑わしい、と書いています。文献で見る限り、18,19世紀のヨーロッパに於いては子供と云う独立した概念はなく、単に、子供=小さな大人だった、と云うのです。子供の世界の独自さと云う観念の起源は案外新しいものだった、と云うのです。
 それでは今を去ること千二百年ほどもまえのわが国の万葉の人、山上憶良の反歌――”銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何ぜむに 勝れる宝子に及かめやも” などはどうなのか、と云われそうですが、時代や民族の違い以外に、それぞれが属していた社会階級によっても異なっていた、と云うことがあるのかもしれません。例えば『平家物語』などを読むと、双方の武士団の性格の違いもさることながら、家族観の違いに少々驚かされるのです。源氏側の骨肉の内部抗争などをみていると、今日の家族観とは余程違ったものが感じられますし、清盛の平家納経にかけた思いであるとか、木曽義仲の乳母の子に対する肉親以上の親愛感などどの心理過程は、かえって現代人のために書かれた書物であったか、と思わせるほどです。反対に北条政子の坂東武者としての心意気など、現代では理解不能になっています。
 家族観の人間像の複雑さは、民族の固有性によっても、年代記的な歴史的段階に於いても、そして同じ社会の中でも階級間の位置や価値観の違いによっても異なるので、これらが相乗複合化されて現れるので一義的には解き得ないと云うことになりそうです。ただ、一つだけ確からしきことを云うと、国民国家以降の資本主義の成立後に生じた事態は、ある程度、民族的、歴史段階的、あるいは階級別の固有性を平均的にならす貨幣経済の成立と云う眼に見ないソフトなイデオロギーによる先-無意識的な統一と云う事態が、つまりよく言われる高度管理社会の成立、と云うことになります。資本主義の特徴は経済システムの外部に規範的価値を求めなくても済む自動自律の原理に貫かれた経済=社会の体制だと思うわけですが※(注釈)、今回の話題で云いますと、樋口一葉とはまさに地理的にはユーラシア大陸の東の果てに位置する日本と云う国が西洋文明と資本主義と云う汎経済=社会の総合的システムとの遭遇を経験し、それを受肉・受容するあるいは対抗する過程で世界経験と云うものを感受せざるをえなかった、明治と云う時代に生きた特異な作家のひとりでもあった、と云うことになります。
 問題の提起の仕方が大上段で大構えになってしまいましたが、ここではその中から、一葉の文学における子供の世界の固有性と云うものを考えてみたいのです。また子供の世界の固有さと云う考え方を手掛かりに子供と大人の世界を繋ぐ、思春期、と云うもののあり方についても考えてみたいのです。なぜなら、たんに子供を小さな大人としでではなく固有なものと考えるありかたの中から、存在や一つの固定された時期と云うよりも過ぎ行く過渡性としての思春期、の問題が迫り出してくると思うからです。

 樋口一葉が子供の世界を描く名手であったことは知られています。代表作『たけくらべ』などは指摘するまでもなく自明なことに属します。それに比べて、案外と指摘されることが少ないのが、『大つごもり』や『十三夜』、さらには『にごりえ』などに於いて、子供の世界が果たしている役割についてです。
 『大つごもり』の見習い女中はなぜ屋敷のお金を盗むのでしょうか。また『十三夜』の家出した若夫人はなぜ最終的には説得されて翻意するのでしょうか。生と死の実存の間を宙ぶらりんに生きている『にごりえ』の酌婦に最終的な義理と人情の決断をさせるのは何だったのでしょうか。それらのすべてとは言いませんが、それぞれが懐いていた子供の世界に対する思いであったことは明らかでしょう。
 『大つごもり』では、手の届くところにある僅かばかりのお金に手を付けるのは、その僅かばかりのお金がないゆえに年を越せない伯父夫婦と幼い男の子の現状があり、幼くてもわずかな金がそう手易く借りられるものではないと云う子供の側の知恵があります。世話になった養家に育てられた姪の女中は、お金を受け取りに来た小さな男の子を手ぶらでは返せないと思って確信犯的に盗むのです。ここで注意しなければならないのは、貧しさゆえに盗まなければならないのではなく、また出来心で罪を犯してしまうのではなく、幼きものの窮状を見たとき自らの行為は許されるべきであると、こころのどこかでかなりの程度明晰に考えてもいたことです。つまり一葉の創造した登場人物は、盗むことは社会的規範に照らして無条件に悪いことだと考えているのではない、という点がとても新しいと感じました。孝養を尽くす規範的な娘と云う役柄を生涯演じ続けた一葉は素振りにも見せませんが、世の中の掟などは何とも思っていなかったのです。
 『十三夜』が描いているのは、魂を犠牲にしてでも生きるべき現実があると云う、冷徹にして冷厳な認識です。単に器量好みで求められて、飽いたと云っては粗略にあつかわれる。逃げて帰ろうにも、実家の困窮の実態を知れば自分のことだけを考えるわけにもいかない。生きることが出来るはずもない世界に、親から説得を受けて帰るほかはない、そうした憐れな明治の名望家の夫人になりおえた背景を持つ出自が貧しい娘が主人公である。この話は最後に初恋の人との不意の遭遇があり、自分以上に不幸な相手方の境遇のあり様をみて自分の愚痴は一言も語らず十三夜の明るい月の光の中を、魂を殺して木偶の人形となってでも生きていこうと云うところで終わっています。ここでも終始彼女が気にかけているのは、すやすやと寝付かせて婚家に置いてきた子供の寝顔なのです。
 『にごりえ』では、人生の酸いも甘いも知りぬいた売れっ子の酌婦が、無理心中事件に巻き込まれるまでの無惨な顛末が語られています。一葉は少しも信じていないのに、合意の心中の可能性にも言及していますが、鷗外などもこの終わり方には疑問符を提示しています。それは兎も角、事件の終わりが合意のものであろうとなかろうと、彼女を虚無の世界に迷い込ませたのは、――言い換えれば最終的に生の世界に対する執着を断念させるのは、自分が不幸にしてしまった一家族の無惨なあり様であり、カステラと子供をめぐる、ここまでないと思わせる悲惨と一家の挙動をみて思い起こされた幼い日の自分自身の思い出なのである。『にごりえ』にはイワン・カラマーゾフと同じ問いが存在する。ひとりのいたいけない子供の純情を裏切るような世の中は存在するに価するか、かかる人類の悲惨を黙認する神とはどういう存在であるのか、と。
 有名な『たけくらべ』と『別れ道』においては、人間は子供から思春期を経て大人になるのだが、その自然的ともいえる過程は、本当に人間の自然と云えるのだろうか、と云う問いがある。子供たちは、自分たちの生きる世界が「全体」として見え始めたとき、固有の世界との別れを経験する。よく仕組まれているとはいえ、『たけくらべ』の世界に描かれる下駄の鼻緒の挿話や、一輪置かれた虚しい造花が意味するものの憐れさの余情などは、成長と云うものが必ずしも人間の幸せを意味するものではないとの冷徹な認識がある。ヒロイン美登利がやがて花魁となって再現するであろう近未来の在り様を想像すると、この作品の哀憐さも極まる!と云える。
 『別れ道』の主人公は、そんな社会の自然を肯うことが出来なくて、不人情だと、駄々をこねる少年のお話である。相手方のヒロインの少女はひたすら能面のように、表情を持っては描かれないヒロインの特異な描出法はここに至っても遂に空白のままで、飛び出そうとする弟分の少年の背中を必死に羽交い絞めにすると云う行為の象徴性によって万感の思いを一葉は伝えている。と云うのも、少年と少女の精神的年齢の差はさておき、羽交い絞めと云う肉体的な行為に歴然とした二人の体力の差を読むとき、これはただ事ではないからだ。
 樋口一葉の新しさは、大人の世界でもなく子供でもない束の間の、その両者の境界域にある、思春期と云う過ぎ行く過渡期を固有の生として描いた一葉の卓越にあったと信じています。思春期が留めるすべもなく過ぎ去る宿命ものであるならば、一葉もまた等しくこの時代に殉じて生きたとも結果としては言える。かかる人生をライフサイクルとして考える考え方は当時の欧米社会に於いてもざらにあることではなくて、世紀末の前後の時期を通して顕在化してきた現象ではなかったかと記憶しています。
 樋口一葉はしこうして既に世界文学的だったのである。

 (あとがき)
 東京大学の赤門前の白い縞模様の横断歩道を渡り切ったお向かえに、法真寺と云う一葉所縁の寺があります。一葉が幼少期の五年間を過ごした家は、のちに一葉自身によって、桜木の宿、と懐かしく命名されます。両親と二人の兄と妹との一家の暮らしぶりの思い出は、一葉の生涯にわたって記憶として支え続けていたと思われますが、あの明晰で利発で勝気な『たけくらべ』の美登利を思わせる乙女が宝物のようにして心の奥にしまい込んで慈しんでいたかと思えばあわれさも極まります。『にごりえ』の中で、家族に破局がおとずれて、一家が離散しようとするとき一葉はこう書いています。

 たとえ何のような貧苦の中でも二人双って育てる子は長者の暮らしといいまする。別れれば片親、何につけても不憫なは此の子とは思ひなさらぬか。

 この文章は一葉が亡くなる一年ほど前に書かれた文章ですが、一葉の生涯を貫いたモチーフが象徴されているように思われます。昨今、価値観の多様化に伴って離婚や別居、母子家庭や父子家庭、様々の様態の離散家族等が増えている現状をみますと、最大の弊害は子供をめぐる極端な貧困化の問題があります。戦後間もなくの時期のように皆が貧しければ問題ではないのです。メディアや情報社会の広報、学校社会や企業を通じて齎される一元化を通じて、ある確定された家庭像が固定化され、幸せの平均値が規範化され、そこからの疎外の程度が人間を計る尺度の代用となり、経済的な貧困が同時に精神的な貧困、さらには精神的な飢餓感に子供たちを追いやっている現状が問題なのです。つまり貧困の問題が思想化されていくことが問題なのです。かく書けば、この事だけではなく、なにゆえにか文語体で書いた一葉の文学がまさに現代のために書かれたような見越したような普遍性、先見性を持っていることがとても不思議に感じられます。一葉が薄笑いを含みつつあざ笑ったのは、かくなりゆく日本近代の成行きでした。
 最後に、『ゆく雲』の中から。これは一葉家の二階屋から望んだ、隣接する法真寺の枝垂桜を偲んだものですが、

 腰ごろもの観音さま、濡れ仏にておわします御肩のあたり、膝のあたり、はらはらと花散りこぼれて、前に供えし樒の枝につもれるもをかしく、

 一葉ですら――と云ういい方はおかしいでしょうが――、その一葉ですら幸せな幼年期を記憶としては持ちました。育児放棄と云う現状の中で、生まれてきて一度も幸せであることの「自然」を経験できぬまま、世の中と云う名の荒波に船出していく施設の子供たちの運命すらこの世にはあるのです・・・・・。親だけが出来て他の人にはできないこと、福祉社会が如何に充実しようとそれだけは叶えられないのです。

(注釈) 空白と無と云う概念の起源
 資本主義と云うシステムの特徴は、社会のあり方を説明するために外部に価値なり規範を必要としない自動自立のシステムだと考えます。と云いますのも、社会や人間の共同体はその誕生から宇宙や自分たちが属する世界の成り立ちを説明するために、何らかの神話を必要としてきました。神話とは、自分たちの住む世界の地平とは異なった次元に説明の原理を委託する、という考え方です。大雑把に言うと、古代の神権政治や宗教と云うものはこうした必要性の原理の上に成り立ちました。
 それでは天皇性のように近代・現代に生じた疑似神権主義国家の存在をどのように考えるべきでしょうか。経済の原理としての下部構造は資本主義的であるのに、上部構造は古代王権的な風貌を備えている一身双頭のシャム双生児のような奇形なあり方をどのように説明したらよいのでしょうか。
 資本主義が、世界各地に伝播する過程でそれぞれに地域や国々でとり得る特殊的な形態、各々がとり得た妥協の変態的諸段階とも考えられますが、やはり基本は資本主義の経済システムが基本にあって、説明原理不要の外部の空白性のなかに、任意に書きこみうる恣意性、独善的ドグマの産物だと考えたらいかがでしょうか。つまり、世界の外部を原理上不必要とする資本主義のシステムに於いては、必要な限りでは、利用しうる空白のスクリーンとして活用されうると考えるのは、功利主義の観点からも肯えると思えるからです。
 もし社会に於いてそれを説明する精神的原理が必要とはされず、社会の外部性が単なる空白のスクリーンとして、任意に書きこめる落書き帳の如きものであるならば、そこにヒトラーやスターリンの肖像を書き込むこともルーズベルトや天皇制のプロフィールを描き入れることも、任意に可能であった、と云うわけです。
 それでは外部の空白が任意に書きうる実在無き原理であったにしても、なにゆえ空白は存在するのか。空白はそもそも何時から存在し始めたのか。空白と無の起源を問うことは難しく、近代以降に生じた総体的価値が部分的自律の原理にとってかわられ、諸価値の並存に分裂を始めたころ、諸価値の「外部」には何があるのかと云う問いの形で、空白と無の論理はこの世に存在し始めたのではないかと疑っているのです。
 言い換えれば、部分的諸価値が自らの自律に目覚め純化と明晰化を図る過程で必然的に、「外部」はくっきりとその容貌を顕わにしたとも云えるのです。つまり社会が合理的で論理的な原理で説明されればされるほど、非合理としての空白や無の問題は鮮明化すると考えられるのです。
 そういう意味では現代社会と云うものは合理的で科学的な印象にも拘わらず、神話化や神秘化やどろどろの不合理の誘惑に直面した社会であるとも云えるわけです。