私が嫌だと思う人は
同じ空間にいながら
そこで起こる出来事に
まったく無関心な人である。
その様な人に限り
どうでもいい話は
耳に入り
自分の関心ごとのように
記憶にとどめる。
要は「噂話」には
非常に興味があるのだが
そこで起こった異変が
自分に関心がないことであれば
「そう言えば…おかしかったですね」と
尋ねたら答える。
「これ、何かあった」と
聞かなければ半永久に答えもせず
異変にも気付かない…
その様な人は
同じ空気を吸っても
嫌になるものだ。
もし、これが社内であったら
どうであろうか…
私は社員によく話をする経営者。
社員からしたら
「また始まった…」と思うことも
あるだろう。
しかし
くどい様ではあるが
私が知り得た話は
社員に伝えるようにしている。
それが良いとか悪いの判断は
各々がするように伝え
自分を高めて欲しいとも…
私の話は
道徳に関することが多く
葬儀と言う仕事に従事することは
亡くなった人を中心に
家族があるということを
考えていくもの、と思っている。
どうして良いのかわからない…
葬儀を行う多くの人が抱える悩み。
その「どうして良いのか」
わからない不安を解消するには
葬儀社の人としての
常識が必要だと思う。
葬儀社で勘違いしている人のなかに
葬祭ディレクターという資格がある。
さもディレクター資格を持つものが
優れていると思われがちだが
私はそう思わない。
なぜなら、私は葬儀本来の意味は
葬儀社としての経験則で図れないと
思っているからである。
私が雇用に際して重視するのは
過去の履歴ではない。
いま聞くのは
「両親への思い」である。
この思いを聞くと
自ずと人間性が見えてくる。
母親を早くに亡くした社員は
ここぞというとき、自然と人に対する
優しさを見せている。
早くに両親が離婚した社員は
祖父母の教育を受け
いただきます…御馳走さまが
自然と言える。
その様に
人間的な教育を受けている社員は
葬儀の基本を教えることで
多くのご当家をサポートすることを
まったく苦にせず
自然と行えるものだ。
よって私が口うるさく言う話も
自然に受け止め、行動に移す努力を
してくれる。
人間教育は家庭から…とは
よく言ったものだが
まさしく「家庭」というものは
大きな影響を与え、受けるものである。
人間は些細なことであっても
常に「気付く」必要性を持つことで
人に対しての思いやりが持てる。
そこには人としての傷みがわかる
人生を経験したかが大切。
この世に生きて行くには
真の優しさを備え
いざという時に
お互いが助けあう環境が必要だと
私は思うものだ。
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