あの震災から六回目の訪問になりました。
少しずつ、街にも活気が戻っていると実感しましたが
現地の人には、まだその実感はなく、いろいろな思いがあるのだと感じました。
今回の2泊3日の東北への視察は、個人的に凄く長い時間に思えたものです。
なぜなのか?自分にもよくわからないのですが、それだけ充実した時間だった気がします。
気仙沼にある有名な安波山(あんばさん)から市街を一望。
葦の芽学園の熊谷さんより、現地で語り部をされている菊田さんをご紹介いただき、あの震災当日の話をお聞きしました。
左上に見える山肌を造成しているのは、高台移転予定地です。このほかにも数か所予定地はありました。
また、気仙沼湾の周りに、防潮堤建設予定で賛否両論あるのも事実ですが、このことは後に少し触れたいと思います。
気仙沼復興屋台村にも行きました。
ここでしか味わうことの出来ない、「ふかひれラーメン」をメンバーで堪能。
広島では味わえない、贅沢なふかひれ…
しかしながら、この復興に向け勇気を与えた屋台村も間もなく閉鎖されると聞きました。
多くの著名人が駆けつけ、現地の方を勇気づけた場所ですが、新たな復興計画のため姿を消すのですが、一抹の寂しさを憶えたものです。
葦の芽学園では、アンパンマンが元気に出迎えてくれました。
このアンパンマンの、幼稚園での使用権…。
ひとつの街に、ひとつの幼稚園しか使用できないようです。
津波で甚大な被害にあった、あしのめ星谷幼稚園にも行ったのですが、ここで天皇皇后両陛下のお写真を見せていただきました。
葦の芽幼稚園の園児が、気仙沼市役所にて、出迎えで手を振ると、立ち止まって笑顔で応えていただいた記念の一枚だそうです。
やはり天皇皇后両陛下は素晴らしい人間性を持たれ、多くの人々を勇気づけられる力を持つ方だと思います。
気仙沼湾の周りを、やがて防潮堤で「人命を守る」という大義のもと、この風光明媚な姿が消える運命になるかもしれません。
先ほども申しましたが、このことには賛否両論あります。
その地に生まれ、その地を生活の拠点とされている人には、失われた過去に計り知れない多くの思い出が、いつまでも残り続けています。
あの津波よる甚大な被害に遭遇し、家族や友人を失うという深い悲しみのなかでも、自分の街への愛着心は不変です。
「気仙沼湾の周りに防潮堤ができると、気仙沼が気仙沼でなくなる…」
「叡智を結集し人工的なものを作っても、自然の大きな力には勝てない…」
その様な声を、現地で出会った人から耳にしました。
最後に、気仙沼の女学校の解体現場です。
かまぼこ型の校舎として、気仙沼のシンボルでもありましたが、あの津波で被害を受け現在解体工事が行われていました。
今回も広島ロイヤルライオンズクラブの7名のメンバーで視察を行いました。
葦の芽学園さん、気仙沼向洋高校さん、そして現地の方に接するたび、依然多くの問題があることを再認識しました。
安全な街づくりを考える行政機関に対し、それを求めたい気持ちの中にも気仙沼らしさを残し続けたい住民の思い…お互いに「生命と財産の重要性」がわかっているだけに、もどかしい現実を感じたものです。
広島の地でも昨年の8月、大規模土砂災害により多くの生命が失われました。
あの土砂の恐怖により、「もうここには住めない」と、安全な場所へ転居された方も多いと聞きました。
しかし、気仙沼はじめ東日本の被災地には、多くの人が住みなれた街を離れたくない現実があります。
「海と共生してきた…」
例え街が変わりゆくなかでも、気仙沼の人の気持ちを大切に、これからも育んでいきたいものです。