疲れているはずなのに、なぜか上手く寝付けなかった。
私がいないことに気が付いて、ヒロトから連絡が来るだろうと思うと、緊張した。
通知もすべて切って、アラームだけがかかる状態にして、眠りについた。
初日からドキドキするけれど、夏喜に言われたから、そっと冷蔵庫を開けてみる。
朝の六時半。
まだ誰も起きていない。
冷蔵庫の中は、充実している、というほどではなかったけれど、普通の一般家庭にあるような調味料と食材が、入っていた。
卵に豆腐、お肉に加工食品、野菜室は結構種類がたくさんだ。
おそるおそる取り出して、お味噌汁を作ってみる。
フライパンや鍋は、キッチン下の引き出しにきちんと整理されて直されていた。
七時を過ぎて、ちょうど朝食を作り終えた頃、小夜子さんが起きてきた。
「あらぁ、藍ちゃん、起きてたの?」
「あ、ごめんなさい、私、勝手に」
小夜子さんの顔は、昨晩よりも、もうひと段階若い。
寝起きだからだろうか。
髪の毛も、緩くうねっていて、パーマなのか天然なのか、ふわふわ寝癖が付いている。
「えー、藍ちゃん、料理出来るのぉ?」
「はい。少しなら」
「少しじゃないでしょう。十七歳でこんなの作れるなんて、すごいわよぉ。うちの夏喜、何にもしないからねぇ?少しは教えとくんだったわ」
「あ、はは」
「あ、しまった、洗濯物!」
「小夜子さん、お仕事ですか?」
「うん、今日は日勤だから、八時過ぎには出るかな?」
「あ、じゃあ良かったら、食べてください」
「いいの?あ、藍ちゃん、洗濯物は?」
それは、どうしようかと考えていたところだった。
さすがにこの家の洗濯機で一緒に洗うわけにはいかないから、溜めてコインランドリーにでもいこうかと思っていた。
「良かったら、出しちゃって。一緒に回しちゃうから」
「え…でも、」
「いいから、早く!早く回さないと、仕事遅れちゃう!」
「あ、はい」
促されるまま、私は昨夜出た洗濯物を、和室から持ってきた。
「藍ちゃん、洗濯機回せる?」
「多分、」
昨夜シャワーを借りた時に見た、脱衣所にあったそれは、一般的な縦型の洗濯機だった。
ヒロトの家にあったものとさほど変わらないので、使い方は分かるだろう。
「だったら、それ一緒に入れて、回してきてくれる?」
「はい、分かりました」
小夜子さんはおいしいおいしいと言って、私が作った朝ご飯を食べてくれた。
別に、普通のお味噌汁と、卵焼きと、ウインナーを焼いただけなのに。
来たばかりの他人の家の、キッチンを勝手に借りて。
だけどそんなことには何も文句は言わず、彼女は嬉しそうに食器を片付けて、仕事に出掛けて行った。
せめてもと言って、私が洗濯物を干している時、ようやく夏喜が起きてきた。
もう、八時を過ぎている。
ベランダから戻って、夏喜に挨拶をする。
「おはよう」
「あぁ、お前、いたの?」
私がここに来たことを忘れているかのような、そんなのはどちらでもいいような、空気のような存在で私を見る。
あくびをしながら頭を掻いている姿は、これまで見てきた彼の姿とは、打って変わって別人だ。
「朝ご飯、あるけど?食べる?」
ちら、と食卓に目をやる。
「いや、もう出ねぇとやばい。遅刻する」
毎日深夜まで働いているのだ。
これが夏喜の日常なのかもしれない。
「お前は?学校、間に合うの?」
私はもうすでに制服に着替えている。
昨夜、ヒロトの家から一緒に持ってきたものだ。
「私も、もうすぐ出る」
「ふぅん。あ、俺、今日もバイトだから、夜いねぇけど、母ちゃんは?」
「仕事って言って、さっき出て行った」
「あっそ」
またしても頭を掻きながら部屋を出て行く。
次には制服を着て現れたかと思うと、彼はそのまま家を出て行ってしまった。