秋旅2023⑧長篠城跡~戦国版“走れメロス”鳥居強右衛門[新城市](23.10.21) | オレンジの普通でHappyLife♪

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2015年7月に主人の転勤で大阪へ。
その後は埼玉(東京勤務)→金沢→埼玉(東京勤務)→金沢→大阪と毎年引っ越し転勤生活。
いつまで住めるかわからないので、後悔なく転勤先を楽しみたいです♪

無事最終日のきっぷの発券が出来たので元のルートに戻ります。と言うことで東海道線→飯田線に乗換え、宿泊していた新城駅を通り越して長篠城駅で降りました。
新幹線の切符問題のため、当初の予定より2時間遅れでの観光スタートになりましたあせる
長篠城駅では年配の方達のグループが結構降りて賑やかでした。
 
駅から徒歩5分もしないところに、長篠城の搦手門跡がありました。
 
さらに歩くと、長篠城址史跡保存館があります。
お城を意識したデザインになっていますね。
 
保存館の展示は2階部分になっていて、1階は誰でも利用できるスペースになっていました。
日本100名城スタンプはここにあります。我が家は主人が7年前に押印済み。
またコインロッカーがあるのですが、2階の受付で入場料をお支払いし、コインロッカーを使いたいと伝えれば鍵を渡してくれるので、利用することが出来ます。但し空きがあったらですがね。
コインロッカー代を別に払わなくていいのはうれしいですね。もちろん利用させていただきました。
 
中の展示は、もちろん長篠・設楽原の戦いに関するものばかりでした。
コインロッカーにも描かれている鳥居強右衛門に関する展示も多かったです。
 
大河ドラマ「どうする家康」で、家康の娘亀姫役は當間あみさんが、亀姫が嫁いだ奥平信昌役は白洲迅さんが演じていましたね。
當間あみさんはまだ16歳ですが、リクルート、カルピスウォーター、ブルボンなどのCMの他、全国火災予防運動のポスターや、信書制度周知ポスターなどお役所系の広告に起用されていますね。
 
長篠城跡を歩きます。
 

長篠城は永正5(1508)年に菅沼元成が築城。

愛知県から長野県、静岡県北部、さらに山梨県へと広がる地にあることから、戦国時代には武田と徳川が拠点として奪いあった重要なお城でした。

戦国時代末期の城であるため現在建物は残っていませんが、一部残っている内堀や土塁に加え、2つの合流する川が堀として利用されていた様子などもわかっています。

豊川と宇連川が合流する断崖上にあり、本丸、帯郭、野牛郭、巴城郭、瓢郭、弾正郭等があったそうです。

 

弾正郭跡

 
家老屋敷跡・鳥居強右衛門「呼びかけ」の伝承地
武田軍に包囲された長篠城城主奥平信昌は徳川方の援軍を求めるため、家臣の鳥居強右衛門を岡崎城に送り込みます。城を抜け出し豊川を下り、雁峰山で脱出成功の狼煙を上げたのち、岡崎城へ赴きました。
強右衛門は役目を果たし舞い戻りましたが、武田軍に怪しまれ捕われ、武田本陣で「援軍来ず、早く開城を」と叫べば命を助け恩賞を与えようと誘われました。強右衛門は一旦承諾の態度をとり城の近くに立ち、「援軍は野田に着いた、安心して城を守れ」と絶叫。武田軍は強右衛門を磔刑にしました。
その後ですが、家康は織田に援軍を求め信長は2万を超える軍勢で参陣、3000丁の鉄砲で武田に圧勝し強右衛門の勇気は報われたのです。
 
「どうする家康」では強右衛門役を岡崎体育さんが個性的に演じていましたね。鳥居強右衛門のことをうっすらとしか知らなかったのですが、色々調べるきっかけとなる熱演でした。
二の丸跡
 
確かにとても深い堀の跡が残っています。
 
2025年は、長篠の戦いが行われた1575年から450年なんですね。
 
 
土橋の奥に、飯田線の線路が見えます。
 
本数が少ないので難しいですが、飯田線が走るところが撮影出来たら最高ですね!!
 
 
武田軍の5砦跡
 
対岸に信玄の弟など各武将が陣を敷いたそうです。
 
鳥居強右衛門は磔にされたのは、柵の奥下に流れている川の対岸になるそうです。
 
鳥居強右衛門磔死の碑などへの生き方は分かりづらく時間も掛かるので行きませんでしたが、雑草状態をみても難儀しそうですねあせる
ちなみに長篠城駅の豊橋側にある隣駅は鳥居駅で、強右衛門のお墓などはこちらからの方が行きやすいようです。
 
鳥居強右衛門は長篠から岡崎までの距離46㎞をたった3日で往復したそうです。今と違って道は悪いし、川も多く泳いだり潜ったりしながら行ったとか。
そんな姿はまさに戦国版走れメロス、享年36歳の若さだったそうです(あの絵ではそう見えない…)。
 
行きやすい馬場信春のお墓を観に行ってみました。
 
あちこちに道案内があるので良かったですが、それでも私有地じゃないの?行っていいの?って言う所もあって焦りましたあせる
 
武田四天王の1人に数えられる馬場信春は武田3代に仕えた40数年の間、70回を越える戦闘に参加しましたが、長篠の戦いまでかすり傷一つ負わなかったそうです。そのため、現代において「不死身の馬場美濃」、「不死身の鬼美濃」と評されているそうです。
 
長篠城

愛知県新城市長篠字市場22-1

JR飯田線長篠城駅から徒歩8分

別名:末広城、扇城

築城主:菅沼元成

築城開始・完了年:永正5(1508)年

廃城年:天正4(1576)年

 
この後は長篠城駅へ戻り飯田線に長距離乗り飯田へ、また記事にします。