名古屋駅で新幹線の切符を発券し、きしめんを食べました。
無事最終日のきっぷの発券が出来たので元のルートに戻ります。と言うことで東海道線→飯田線に乗換え、宿泊していた新城駅を通り越して長篠城駅で降りました。
新幹線の切符問題のため、当初の予定より2時間遅れでの観光スタートになりました
長篠城駅では年配の方達のグループが結構降りて賑やかでした。
長篠城跡を歩きます。
長篠城は永正5(1508)年に菅沼元成が築城。
愛知県から長野県、静岡県北部、さらに山梨県へと広がる地にあることから、戦国時代には武田と徳川が拠点として奪いあった重要なお城でした。
戦国時代末期の城であるため現在建物は残っていませんが、一部残っている内堀や土塁に加え、2つの合流する川が堀として利用されていた様子などもわかっています。
豊川と宇連川が合流する断崖上にあり、本丸、帯郭、野牛郭、巴城郭、瓢郭、弾正郭等があったそうです。
弾正郭跡
家老屋敷跡・鳥居強右衛門「呼びかけ」の伝承地
武田軍に包囲された長篠城城主奥平信昌は徳川方の援軍を求めるため、家臣の鳥居強右衛門を岡崎城に送り込みます。城を抜け出し豊川を下り、雁峰山で脱出成功の狼煙を上げたのち、岡崎城へ赴きました。
強右衛門は役目を果たし舞い戻りましたが、武田軍に怪しまれ捕われ、武田本陣で「援軍来ず、早く開城を」と叫べば命を助け恩賞を与えようと誘われました。強右衛門は一旦承諾の態度をとり城の近くに立ち、「援軍は野田に着いた、安心して城を守れ」と絶叫。武田軍は強右衛門を磔刑にしました。
その後ですが、家康は織田に援軍を求め信長は2万を超える軍勢で参陣、3000丁の鉄砲で武田に圧勝し強右衛門の勇気は報われたのです。
「どうする家康」では強右衛門役を岡崎体育さんが個性的に演じていましたね。鳥居強右衛門のことをうっすらとしか知らなかったのですが、色々調べるきっかけとなる熱演でした。
強烈でインパクトあり記憶も鮮明なので、放送から4か月も経っているとは思いもしませんでした~
本数が少ないので難しいですが、飯田線が走るところが撮影出来たら最高ですね
鳥居強右衛門は長篠から岡崎までの距離46㎞をたった3日で往復したそうです。今と違って道は悪いし、川も多く泳いだり潜ったりしながら行ったとか。
そんな姿はまさに戦国版走れメロス、享年36歳の若さだったそうです(あの絵ではそう見えない…)。
長篠城
愛知県新城市長篠字市場22-1
JR飯田線長篠城駅から徒歩8分
別名:末広城、扇城
築城主:菅沼元成
築城開始・完了年:永正5(1508)年
廃城年:天正4(1576)年
この後は長篠城駅へ戻り飯田線に長距離乗り飯田へ、また記事にします。