大垣駅からタクシーで美濃赤坂駅へ行きました。
この辺りは中山道の赤坂宿があったところ。
江戸から数えて56番目の宿場があったところで、宿場内には292軒の町屋が建ち並んでいたそうです。文久元(1861)年に皇女和宮が徳川家茂へ降嫁した際には赤坂宿で宿泊し、「お嫁入り普請」と呼ばれる家の建替えや新築が行われたそうです。
お茶屋屋敷跡
お茶屋とは、江戸・京都の住環に整備された将軍家専用の宿泊施設だそう。美濃赤坂のお茶屋屋敷は慶長10(1605)年に完成し、徳川家康や秀忠らが宿泊したそうです。
ほぼ方形の縄張りをもつ城郭形式で、総郭内と馬場跡があり、四隅に櫓を備え、正面に大手門があり、全体を土塁や空濠で囲んだまるでお城のような造りだったそうです。
赤坂宿の脇本陣で、赤坂宿では唯一の脇本陣だったそうです。
宝暦年間以後脇本陣を勤め、問屋と年寄役を兼ねましたが明治維新後建物の一部が解体され、町役場に。母屋は近年まで榎屋旅館として営業していたそうです。
旧清水家住宅
主屋と土蔵からなり、元々は米屋を営んでいた建物でしたが、後に医院として使用されていたそうです。一般公開されていますが土日祝日のみなの、この日は閉館していました。
中山道赤坂宿本陣跡
江戸時代、大名・貴族の旅館として設置された中山道赤坂宿の本陣。間口24間4尺、邸の敷地は2反6畝26歩、建物の坪数はおよそ239坪もあり、玄関・門構えの豪勢なものだったそうです。
文久元年10月25日、皇女和宮がここに宿泊したそうです。
文久元年10月25日、皇女和宮がここに宿泊したそうです。
本陣跡からすぐ近くの踏切脇に赤坂本町駅跡碑が建っていました。
ここは昨日の記事に書いた西濃鉄道市橋線の赤坂本町駅があったところで、西濃鉄道は現在旅客扱いを行わない貨物専業鉄道ですが、昭和5(1930)年から昭和20(1945)年の間、鉄道省初のガソリン気動車を用いて、鉄道省東海道本線支線(大垣駅 - 美濃赤坂駅間)に乗り入れる旅客列車を運行していたそうです。
この後美濃赤坂駅に戻りイスに座ってしばしのんびり。16:54発の電車で大垣駅に戻りました。
この後は大垣駅から岐阜駅に向かい、さらに多治見駅に向かって宿泊しました。また記事にします。
昨日は1週間ぶりのパートのお仕事でした。なんか久し振りで体が怠かったな
忙しかったけれど、アルバイトリーダーさんが気を使ってくれて、休憩30分でも何でも行って大丈夫だよって言うから甘え、途中30分いただいちゃいました。
先週の平日はずっと暇なことが多かったって聞いていたのだけど、何で久し振りに私が入ると忙しく、シフト入りする人も1人少ない日だったりするんだろう