高砂神社(高砂城)に十輪寺[兵庫県高砂市] | オレンジの普通でHappyLife♪

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2015年7月に主人の転勤で大阪へ。
その後は埼玉(東京勤務)→金沢→埼玉(東京勤務)→金沢→大阪と毎年引っ越し転勤生活。
いつまで住めるかわからないので、後悔なく転勤先を楽しみたいです♪

高砂市の工楽松右衛門旧宅を見学したり、和菓子を買ったりしました。 

 

高砂神社にも寄りました。

 

社伝によると、神功皇后が外征の際に大己貴命の神助を得て敵を討った。その帰国の途中この地に船を寄せ、国家鎮護のため大己貴命を祀られたのが高砂神社の始まりだそう。

その後天禄年間に疫病が流行し庶民が苦しんでいた時、神託によって素盞嗚命、奇稲田姫命を祀ったところ、疫病が収まり、庶民は喜んでお礼参りをしたそうです。

 
拝殿
 
 
5代目 相生の松

ある時、1つの根から雌雄2本の幹をもつ松が境内に生えました。この松は、尉(伊弉諾尊)と姥(伊弉冊尊)の2神が宿る霊松とされ、相生の松と呼ばれるようになったという説があるそう。

初代相生の松は天禄年間に、2代目は兵火によって天正年間に枯死。3代目は昭和12年に枯死し、幹が霊松殿で保存されています。

4代目は松くい虫の被害により短命に終わり、現在の松は5代目だそう。

 
こちらが3代目の相生の松。
 
 

姫路城主の池田輝政は高砂城を高砂神社の敷地に築くことに決め、領地10石を寄進。慶長10(1605)年の築城に伴い西北の松林へ移転したそうです。

その後元和元(1615)年に出された一国一城令により高砂城が廃城に。

寛永2(1625)年に姫路藩主の本多忠政が領地20石を寄進し、元の場所に再度移転させたそうです

 

奥の銅像が池田輝政公だと思ったら・・・

 
先ほどマンホールカードをもらいに工楽松右衛門旧宅を訪問しましたが、その工楽松右衛門でした。
わかりにくいあせる
 
工楽松右衛門は本当にすごい方だったようです。
で耐久性のある帆布(松右衛門帆)を発明しただけでなく、新巻鮭を発明し、いろんな船も工夫。
また幕府の命を受けて択捉島に埠頭を築き、函館にはドックも作ったそう。
伊能忠敬並みにすごいのではびっくり
 
猪目
 
倒れた松から育つ葉が。
生命力ってすごいですね!!
 
こちらのおトイレのピクトさんはなんかほっこり。
 
高砂城

兵庫県高砂市高砂町東宮町

山陽電鉄本線高砂駅から徒歩16分

 

別名:高砂浦城、高砂構

築城主:杉岡蔵人

築城開始・完了年:室町時代

廃城年:元和元(1615)年

 

高砂にはまだまだ見どころが。でも1日券を利用して沿線巡りをしているし、他の所にもまだ行きたいところが。
なので駅に戻りつつ撮影だけしたり、さくっと寄ったりしました。
 
三連蔵
 
十輪寺
山門 市指定文化財
 
弘仁8(815)年、弘法大師が勅命により創建。国指定重要文化財に指定された貴重な仏画が残っているそう。

墓地には工楽松右衛門のお墓もあるそうです。

 

本堂
 
この後は高砂駅から山陽電車に乗り明石に向かいました。
また記事にします。