高砂市の工楽松右衛門旧宅を見学したり、和菓子を買ったりしました。
高砂神社にも寄りました。
社伝によると、神功皇后が外征の際に大己貴命の神助を得て敵を討った。その帰国の途中この地に船を寄せ、国家鎮護のため大己貴命を祀られたのが高砂神社の始まりだそう。
その後天禄年間に疫病が流行し庶民が苦しんでいた時、神託によって素盞嗚命、奇稲田姫命を祀ったところ、疫病が収まり、庶民は喜んでお礼参りをしたそうです。
拝殿
5代目 相生の松
ある時、1つの根から雌雄2本の幹をもつ松が境内に生えました。この松は、尉(伊弉諾尊)と姥(伊弉冊尊)の2神が宿る霊松とされ、相生の松と呼ばれるようになったという説があるそう。
初代相生の松は天禄年間に、2代目は兵火によって天正年間に枯死。3代目は昭和12年に枯死し、幹が霊松殿で保存されています。
4代目は松くい虫の被害により短命に終わり、現在の松は5代目だそう。
こちらが3代目の相生の松。
姫路城主の池田輝政は高砂城を高砂神社の敷地に築くことに決め、領地10石を寄進。慶長10(1605)年の築城に伴い西北の松林へ移転したそうです。
その後元和元(1615)年に出された一国一城令により高砂城が廃城に。
寛永2(1625)年に姫路藩主の本多忠政が領地20石を寄進し、元の場所に再度移転させたそうです。
奥の銅像が池田輝政公だと思ったら・・・
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この後は高砂駅から山陽電車に乗り明石に向かいました。
また記事にします。