飯盛城[大東市・四條畷市](22.2.7) | オレンジの普通でHappyLife♪

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2015年7月に主人の転勤で大阪へ。
その後は埼玉(東京勤務)→金沢→埼玉(東京勤務)→金沢→大阪と毎年引っ越し転勤生活。
いつまで住めるかわからないので、後悔なく転勤先を楽しみたいです♪

この先にある飯盛城への道は、人気の登山コースとなっています。
コースはいくつもあり、四条畷駅からも野崎駅からも各4コースほどあり、それぞれ難易度・所要時間・距離が違います。
私たちは野崎駅~絵日傘(七曲り)コースと言う、所要時間1時間20分、距離は4㎞、難易度2(5段階で)のコースで向かいました。
ちなみに駅名は四畷駅で「条」ですが、市名や神社名は四畷市・神社で「條」です。
 
途中には休憩できる場所がいくつもあり、道案内もたくさんあってわかりやすかったです。
 
途中、水が流れる沢も。
行きは数人の方とすれ違いました。
 
 
ところどころに石垣が残っているのがうれしい。
事前に寄った、大東市立歴史民俗資料館でいただいた石垣ガイドのパンフレットが役に立ちました。
飯盛城は、中世の山城としては珍しく、石垣が多用された石垣づくりの山城だったそうです。
とは言えお城の遺構はそこまで多くはなく、ハイキングを楽しむ道と言う感じでした。
 
 
野崎城の山頂からちょうど1時間で、飯盛城の山頂に到着!!
前回の記事に書いた通り、野崎駅から資料館までが10分、資料館から野崎観音までが10分、野崎観音から野崎城跡までが15分だったので、合計95分で到着しました。
資料館に寄っていなかったら、資料館で言われた通り、90分くらいだと思います。
 
楠木正行像
 
 
国威宣揚塔
 
山頂展望台があったので、上に上がり眺めを満喫。
展望台には年配の男性が結構たくさんいましたが、登山グループかな?
結構な年齢に見えましたが、みなさんお元気ですね~
 
山頂からの眺めを楽しみ、しばし休憩をした後は、四条畷駅方面に向かって下りました。
四条畷駅~飯盛山展望コースと言うコースで、所要時間1時間、距離は2.3㎞、難易度4(5段階で)のコースを逆ルートで歩きました。
レベルや時間は上りの場合だと思うので、下りだとどうかはわかりませんが、資料館の方に言われた通り、かなりきつい山下りでした汗
 
この辺りはまとまって石垣が残っていました。
 
飯盛城は大東市・四條畷市にまたがる飯盛山(標高315.9m)の山頂に築かれています。
河内志によると、佐々目憲法(僧正憲法)が南北朝時代に築いたとされていますが、河内国ではなく、紀伊の飯盛山城であると考えられてもいるそうです。
その後天文年間に河内守護畠山氏の家臣木沢長政が築城したと考えられているそうです。
長政は畠山氏と細川晴元、一向一揆衆と法華宗の対立などを巧みに利用しますが(飯盛城の戦い)、三好長慶に討たれたそうです。
その後三好長慶の居城となりますが、長慶の死後は畿内に勢力を伸ばしてきた織田信長の所領となり、のちに廃城となりました。
飯盛城は全盛期には南北に1200m、東西に500mに達し、70以上の曲輪が確認されているそうです。
 
それにしても本当に下りの道はきつく、膝に負担を掛けないように気を配って下りました。
かなりの傾斜で1段1段がかなり高く、主人は1週間近く筋肉痛でしたあせる
 
飯盛城

JR学研都市線・東西線四条畷駅から徒歩60分

JR学研都市線・東西線野崎駅から徒歩60分

 

別名:飯盛山城

築城主:佐々目憲法?、木沢長政

築城開始・完了年:室町時代

廃城年:1576年(天正4年)

 
続日本100名城のスタンプ下矢印
 
続日本100名城のスタンプは、野崎駅に近い大東市立歴史民俗資料館か、四条畷駅に近い四條畷市立歴史民俗資料館か、飯盛山にあるキャンプ場の大東市立野外活動センター(キャンピイだいとう)の3か所でいただけます。
それぞれ休館日や開館時間が違いますし、最新の情報は事前に確認してくださいねニコニコ
 
四條畷市立歴史民俗資料館 月曜日、年末年始休館
飯盛城の山頂から麓の四條畷神社まで、徒歩45分ほどで掛け下りました。
野崎神社からは2時間のコース、野崎駅からだと約2時間半・6.5㎞のコースとなりました。
疲れたけれどいい汗を掻き、楽しかったニコニコ
 
次回はこの奥にある、四條畷神社の記事をアップします。
 
昨日は雪がちらついた大阪。
そんな中、チューリップが花壇で咲いていましたチューリップ
どこかわかるかな?

 

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