大聖寺の城下町ぶらり(2021.4.5) | オレンジの普通でHappyLife♪

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2015年7月に主人の転勤で大阪へ。
その後は埼玉(東京勤務)→金沢→埼玉(東京勤務)→金沢→大阪と毎年引っ越し転勤生活。
いつまで住めるかわからないので、後悔なく転勤先を楽しみたいです♪

間が空いていましたが、山代温泉に行った時の記事を再開します。
 
山代温泉でゆったり足湯を堪能し、バスで移動しました。
北鉄バスでしたよ。
 
バスで大聖寺駅バス停まで向かいました。
電車で行くのでしたら、加賀温泉駅隣駅の大聖寺駅で降り、そこから徒歩20分です。
バスの車内でグーグルマップを観ていると、終点のかが交流プラザさくらバス停まで乗っているほうが目的地に近いことがわかりました。
危ない危ない、おかげで駅から20分ほど歩かないで済みました~
バスに25分ほど揺られ、到着しました。
 
バス停近くに鐘がみえたので、寄ってみました。
時鐘堂だそうです。
 
大聖寺の町は江戸時代、大聖寺藩の城下町として発展しました。
大聖寺藩は加賀藩の支藩で、石高は初め7万石、後に10万石となりました。家紋は棒梅鉢。
寛永16(1639)年加賀藩の2代藩主前田利常が隠居する際、次男の利次に富山10万石を、三男の利治に大聖寺7万石を割いて、富山藩と大聖寺藩が立藩されたそうです。
 
この時鐘堂は大聖寺藩2代藩主前田利明により、寛文7(1667)年に作られました。
度々火災にあい、最後は昭和9(1934)年に大火に遭い再建されていなかったようですが、最近再建されたとか。
 
街のあちこちに、このような案内板がありました。
ここは大聖寺藩邸跡で、現在は加賀市立錦城小学校・石川県立加賀聖城高等学校が建っていました。
 
この後大聖寺城を攻城したのですが、次回記事にします。
 
川沿いに咲く桜とぼんぼり。
ほとんど散っていましたが~
 
加賀藩の支藩なので、梅を象った家紋を使用していたのですね~
 
川沿いに歩くと、川の上に看板がいくつか掛かっていました。
なんか珍しいですね!!
川の水がとにかく汚いのが残念・・・臭いとかはないですがね。
 
 
こちらの橋の欄干には、桜のデザインが🌸
 
ラッパ水仙は見ごろでしたよラブラブ
 
こちらは久昌山宗壽寺、加賀市指定有形文化財です。
撮影した山門は旧大聖寺藩の関所門で、明治初年に関所が廃止された際移築されたそうです。
切妻木造瓦葺きで高さ3m、幅3.15m。
屋根は移築後付けられたもので、当初は門柱と扉のみだったと推定されているそうです。
 
 
こちらは、旧加賀市のマンホール蓋。
1958年1月1日、江沼郡の大聖寺町、山代町、片山津町、動橋町、橋立町、三木村、三谷村、南郷村、塩屋村が合併・市制施行し旧加賀市が誕生。
その後2005年10月1日、江沼郡山中町と新設合併し(新)加賀市となりました。
旧加賀市の市章と市のキャラクターかも丸君がデザインされています。
 
かも丸君がデザインされた側溝の蓋。
 
駐車場には、おとぼけ系の単管バリケードが並んでいましたよ音譜
 
 
帰りは大聖寺駅から帰りました。
駅前には、古九谷発祥の地と書かれた碑が。
 
大聖寺藩領の九谷村(現在の石川県加賀市)で良質の陶石が発見されたのを機に、藩士を有田へ技能の習得に赴かせ、帰藩後の明暦初期(1655年頃)、藩の殖産政策として始められますが、約50年後突然廃窯となったそうです。
 
 
 
今までもらって嬉しかった手紙

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