いくつになっても心配かけてごめん | 京都の腸もみさん のぶこ女将

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銀座の女将が京都へ移り、京都で念願の腸もみサロン&腸活カフェ「腸活OKAMI LABO」を運営しています
腸のことや、食べ物のこと、そして日々の京都の暮らしまで紹介するブログです



リスタートしてから2週間目が終了



お陰様でたくさんのお客様にいらしていただき


感謝の毎日です





先日


実家の母から


"どうしてますか?お店は繁盛してますか?



珍しくLINEが届く




元々、連絡の少ない娘が


更に音信不通に近くなったから



父と心配しているようでした




少し余裕が出てきた私は


昨晩母に電話を




"元気なの?忙しいならいいけど、いくらLINEしても返事がないからお父さんが心配してるんだよ"




と。




返信してるじゃん、"ありがとうー"って


それ、返信とは取らないか?w




私だって、息子たちから素っ気ない返事が来たら


やっぱ心配するもんな





ごめん、ごめん




"ありがたいことに忙しいんだよ、元気だから大丈夫だよ"



て言ったら



"お父さんが電話代われって言ってるから、ちょっと待ってよ"




母から父に代わる




"おぉ、のぶこよ、どうしたい?(最近どう?の意味)元気なのか?"



"いっくらLINEしても出ねえから、お母さんとどうしちまったんだっぺ?(どうしちゃったんだろ?)って言ってたんだよ。"



と懐かしい茨城弁で捲し立てる




"ごめん、ごめん、オープンしてから忙しくてゆっくり電話出来なかったんだよ。悪かったね"




"ほっかぁ、んならいいけど、身体だけは大事にしろよ"



とだけ言って


母に代わる





"お父さんはのぶこの事ばっかり話すんだよ。たまには電話でもしてやれや"






父が私を心配だって言ったのは


高三の大学受験の時



東京の大学を反対を押し切って受験し


志望校がことごとくダメで


毎日部屋にこもっていた時が初めてで




最後の滑り止めの大学の合格発表を


わざわざ茨城から東京まで車で一緒に見に来てくれ




合格と分かると


1、2年生は狭山校舎だと


都内から狭山校舎まで連れて行ってくれたことが


今でも思い出される



仕事人間の父が


仕事も構わずに、だ




狭山に行く途中、梅の花が咲いていて


"あ、梅、咲いてる"


と言うと



"梅の花が咲いてることすら気づかなかったのか?そんだけ夢中で勉強してたんだな。のぶこは。"




その父の言葉を聞いた時


緊張の糸が切れ


後部座席で嗚咽したんだった





父はやかましい事は言わないけど


私が頑張っている姿は


いつも見ていてくれているように思う




こんな50を遠にすぎた娘の心配なんて


本当ならしなくていいものを


させてしまっている私は


親不孝なのかもしれない




好き勝手やって


実家にも中々帰らず


親の面倒もみていない





あとちょっとだけ


踏ん張るから


待っててな




お盆には帰るよ




どんな顔して会うんかな?


お盆まであと2ヶ月




千代を連れて帰ろうかな