狭いけれど風情があり
古い建物も残っています
今回向かったのは
町の中心部の小山にある
歴史民俗資料館です
後から撮った写真ですが
この階段をふーふー上がりました
突き当たりに新しい石垣
ここを曲がって上がりきると
鞆の浦が見渡せます・・
といいたいけれどそうでもない(笑)
歴史民俗資料館のある小山は
「鞆城跡」でもあります
鞆城はもともと毛利氏が築き
慶長5年(1600)福島正則が修築
元和元年(1615)一国一城令で廃城になるが、水野勝成が入封した際に長子の勝俊の居館を三の丸に置き、福山藩主となってからは、江戸時代を通じて町奉行がおかれました
刻印の残る古い石垣が置いてありました
ところで鞆城は
鞆幕府がおかれた場所ともいわれています
鞆幕府というのは・・
室町幕府の最後の将軍足利義昭が
天正4年(1576)織田信長に京都を追われ
天正15年まで鞆の浦に滞在した亡命政権です
情勢によって
鞆の浦周辺を移動していたようですが
鞆城跡から出土した鬼瓦には
「九七桐」の文様が残っていて
これは常國寺に残る義昭から賜った胴肩衣にも同じ文様が配されていることから
規模の大きな居館がここに建っていたのではと・・
11年間とはいえ
幕府があったとは驚きです
また鞆の浦は
村上水軍が海上防御していました
この岩場は
鞆の浦の東南の角にあたる大可城跡の海岸線で
村上水軍の城があったところです
鞆の浦もう少し続きます(続く)