昨日
子ども落語塾でお世話になっている
六ツ家千艘さんの落語を聴きました
 
まぁ楽しいですね
あぁ次はこうなるんだろなぁと思って
その通りに転ぶと笑えたり
予想外の展開においおいと思ったり
 
この日は落語の歴史についても
お話があったのでメモしましたが
驚いたのは
人物がスマホで一発変換するのです
つまり超基本的有名人物
でもひとりも知らなかったですw
(メモなので違っていたらごめんなさい)
 
1600年頃
笑い話の得意な集団「お伽衆」が登場し
笑話本の刊行始まる
誓願寺の安楽庵策伝の『醒睡笑』には
落語の原点みられる
『私可多咄』の序文で身振り手振りが入るようになる
『噺物語』では、事実にもとずく笑いを「物語」・架空の笑い話を「はなし」とするなど様々なルール始まる
 
1700年頃
はなしの専門家が登場
京都では露の五郎兵衛が登場
大阪では米沢彦八が登場 「彦八咄」 4代目まで続く
彦八祭りは大阪で今も続いている
江戸では鹿野武左衛門が登場するが、落語「堺町馬のかおみせ」で馬がしゃべったという部分を揚げ足とられ、コロリ特効薬(偽薬)に関わったと流罪になる
 
1750年頃
幕府の元禄文化弾圧があったが庶民は抵抗する
はなしは衰退するが
中国笑話の翻訳の笑い話が流行し笑話本の復活 
稲穂『楽牽頭』
 
1800年頃
江戸では烏亭焉馬(うていえんば)などが半職業的落語家
寛政3年(1791)岡本万作が日本橋橘町で夜興行し、寛政10年神田豊島藁店で「頓作軽口噺」の看板あげる
これが寄席の始まりともいわれる
江戸の元櫛職人の三笑亭可楽が寄席興行始めるがネタが少なくてすぐつぶれるものの後に再起する
大阪の桂文治は職業的落語家として登場
 
1842年頃
天保の改革による受難で
200軒あった寄席が15軒になるが
水野忠邦失脚の後66軒に回復し安政年間には400軒
 
明治時代
三遊亭圓朝による江戸落語の完成し
圓朝までを古典落語、以後は新作落語と呼ばれる
明治20年頃から
落語は「おとしばなし」→「らくご」と読むことが一般的になる
三遊亭圓遊(ステテコの圓遊)
4代目橘家圓喬・3代目柳家小さんなどの活躍
 
大正時代
江戸では活動写真・大阪では漫才文化
落語寄席は大きく衰退
 
昭和時代
太平洋戦争中に禁演落語53種を制定など暗黒時代
上方では噺家が一桁になり真打などの身分もなくなる(現在も同じ)
終戦後はラジオで人気復活し
テレビで活躍する落語家も増えるが、東京では寄席の軒数は激減
大阪では上方四天王の活躍で徐々に復活する
 
平成~
テレビで落語家が活躍する時代が過ぎ、しばらく低迷するも
テレビドラマ『タイガー&ドラゴン』2005・『ちりとてちん』2007で人気再燃し現在に至る
 
古典落語が高尚で、新作落語はそうではないムードあるが
桂文枝は新作に「創作落語」という造語をつくった
 
落語のルール
左右を向いて人物を演じわけるルールがあり
 
上手(かみて)は演者の左
偉い人を演じる時は左を向く
家や部屋の外も左を向く
 
下手(しもて)は演者の右
身分の低い人を演じる時は右を向く
家や部屋の内も同じく
 
男性役は上手・女性役は下手
これは現在の感覚とはあいませんが
 
歌舞伎では
花道が右手にありますが
遠くから人が来る方向
吉本新喜劇でも玄関は右手(花道側)
花道側が下手と思うとイメージしやすいかも
 
第15回社会人落語日本一決定戦(2023)
千艘先生は第三位に入賞されました