レトロな旧生野鉱山職員宿舎の前を
通り過ぎます
ここは日本で最初に建てられた社宅
志村喬記念館とあるのは
俳優の志村喬さんが
子どもの頃にこの社宅に住んでおられたからで
大正時代の社宅の様子が復元されています
他にも見どころはあるのですが
そのまま通過して
生野銀山への矢印に従って
市川を渡り
まっすぐ進むと
美しいしだれ桜の並木があり
銀山の門に到着しました
鉱山は入場料1000円
約1km歩き40分くらいかかるとのことで
今回は入らずでした
大同2年(807)銀が出たと伝えられ
天文11年(1542)但馬守護職・山名祐豊が開鉱
永禄10年(1567)自然銀を多く含む日本最大の鉱脈
織田信長・豊臣秀吉の直轄時代を経て
慶長5年(1600)徳川家康が但馬金銀山奉行を配置
享保元年(1716)「生野代官所」が置かれ
吉宗の頃に最盛期を迎え月産150貫(約562kg)の銀を産出
明治元年(1868)日本初の官営鉱山(政府直轄)
明治22年(1889)皇室財産に移され宮内省御料局の所管となる
明治29年(1896)三菱合資会社に払い下げられる
昭和48年(1973)に閉山
坑道の総延長は350km以上、深さは880mの深部にまで達しており、採掘した鉱石の種類は70種にも及ぶ(HPより)
生野銀山文化ミュージアムは
平成23年(2011)開業
門柱に菊の御紋があるのは
皇室の財産だったなごりですね
現在も三菱マテリアル生野事業所があります
口銀谷まで戻ってきました
また来ることがあれば
ゆっくり散策したいと思います
ここからさらに
国道312号線を北上しました
生野銀山は大同2年(807年)に銀が出たと伝えられる。室町年間の天文11年(1542年)には但馬守護職・山名祐豊(すけとよ)が銀石を掘り出し、開坑の起源といわれている。永禄10年(1567年)には自然銀を多く含む日本最大の鉱脈(慶寿ひ)が見つかる(銀山旧記には、“銀の出ること土砂のごとし”と記されている)。
その後、織田信長・豊臣秀吉の直轄時代を経て、慶長5年(1600年)徳川家康は、但馬金銀山奉行を配置、佐渡金山、石見(いわみ)銀山と並び天領として徳川幕府の財政を支えてきた。
享保元年(1716年)には「生野代官所」が置かれ、やがて生野銀山は第八代将軍・吉宗の頃に最盛期を迎え、月産150貫(約562kg)の銀を産出した。
明治元年(1868年)には日本初の官営鉱山(政府直轄)となった。
治22年(1889年)には生野鉱山と佐渡鉱山が皇室財産に移され、宮内省御料局の所管となった。
明治29年(1896年)には三菱合資会社に払い下げられ、以後、三菱の経営で国内有数の大鉱山として稼働してきたが、昭和48年(1973年)に閉山した。その間に掘り進んだ坑道の総延長は350km以上、深さは880mの深部にまで達しており、採掘した鉱石の種類は70種にも及んでいる。
昭和49年(1974年)に観光施設として史跡・生野銀山が開業した。