ここのところ
広島は晴れ曇りで
黄砂も飛んでます
 
ふと思ったのですが
花曇りと黄砂は違うのかなと
 
日本気象協会の
この質疑応答ページによると
黄砂も花曇りの原因のひとつのようです
 
草の匂いのする暖かい南寄りの風が吹くと
春が来たなぁと思います
 
大百科事典(編輯兼発行者下中弥三郎、平凡社昭和 8年)には〔花曇り〕春季桜花の開くころ空の一面に薄く雲った状態をいう。この頃特に頻発する黄砂が飛来して上空に禰漫するため薄雲がかかったやうになるためらしい。但しその他巻雲や層巻雲が隈なく立ちこめたのをいう場合もある(関口鯉吉)
 
【全文】
「花曇り」について (荒川氏の論文をめぐって質問が来ましたので直接荒川秀俊氏に答えていただいた)
 
質問:天気7巻4号に掲載され ております荒川秀俊さんのいわゆる「花曇り」の気圧配置」というのを読んで「花曇り」の定義がはっぎりしなくなってきました。「花曇り」の本来の意味を知りたいと思います。
 従来、私達の考えていた「花曇り」というのは、やは り、3-4月の候、移動性高気圧の中心より西の部分に 見られる特有の曇天でありました。高気圧の後面に入るので、一般になま暖い南寄りの風が吹送すると共に高層雲の濃度が漸増して太陽又は月を次第に見えなくしていく過程のあの曇天です。伊東彊自さんも、先頃の空の歳痔記(朝日新聞)でそう説明されていたように記憶しています。「気象の事典」の解説もほぼ同様で、時々小雨も降るとあります。荒川さんは「花曇り」は曇りとまちがえかねないが、晴れているものとされています。    (大田原気象通報所 篠原久男)  
 
答:「はなぐもり」について、諸種の国語辞典についてあたってみたところ 、広辞苑(新村出編,岩波書店昭和30年)には〔花曇〕 桜の咲く頃、水蒸気が多く空が薄く曇っていることとあって判然としない。大言海(大槻文彦著、富山房昭和9年)には〔花曇〕 春時、百花ノ開ク頃、空ノどんよりト曇リガチナルコト、即チ、新暦ノ三四月、冬ノ北風ノ夏ノ南風二変ハル 過渡期ノ空とある。修訂大日本国話辞典(上田萬年、松井簡治共著、富山房 昭和14年)には〔花曇〕桜咲く頃、空の曇りがちにて晴れやかならぬこと。為考千首春『何となく雨にはならぬ花ぐもり、咲くべき頃やきさらぎの空』謡曲国栖『花曇りな処、春の夜の月は雲井に帰るべし』としてある。これには花曇りは曇ってはいるが、雨が降るほどでない空模様のような表現がしてある。大百科事典(編輯兼発行者下中弥三郎、平凡社昭和 8年)には〔花曇り〕春季桜花の開くころ空の一面に薄 く雲った状態をいう。この頃特に頻発する黄砂が飛来して上空に禰漫するため薄雲がかかったやうになるためらしい。但しその他巻雲や層巻雲が隈なく立ちこめたのをいう場合もある(関口)としてある。この関口鯉吉先生の見解は、私が「天気」において表明した解釈にちかい。
 肥沼博士が気象の事典に書かれたような見解をとって
いた人々もあるだろう。書言字考節用集、一、乾坤門に『養花天、ハナグモリ』とし、花木譜に『越中牡丹開時、多軽陰微雨、謂之養花天』としてある。これによると、ハナグモリ 薄曇りで微雨の降るようなときの天候をも養花天といつているわけである。二様の『花曇り』の意味のうちどちらが世間で広く通用しているか、私は詳らかにしないのですが、花曇り は雨を伴うような荒々しい春の天候を指す意味はないと私は思っていました。また単に曇りの空をさすとしたら、花曇りという特別な言葉はいらない筈です。(荒川秀俊)