広島県府中市上下町
上下と書いて「じょうげ」
 
広島の人は
「あぁアンガールズ田中や平幹次郎さんの故郷ね」
と言います
 
標高500~700mの神石高原延長上にあり
町内には分水嶺があり
山陰方面に流れる江の川水系
山陽方面に流れる芦田川水系
にわかれます
 
先日「NHK鶴瓶の家族に乾杯」の舞台になり
ちょうど「天領上下ひなまつり」の時期なので
久しぶりに行ってみました
 
まずは上下歴史文化資料館から

 

 

入口に活けてあるこれは

ネコヤナギ?

 

 

館内はおひなさまでいっぱいです

 

 

上下町は

中世には荘園で地頭職は斎藤氏

南北朝時代には長谷部氏が台頭

戦国時代には毛利氏の傘下となるも後に一家四散

関ヶ原の戦い後は福島正則が治めるも改易

元和5年(1619)水野氏の福山藩領となるが

元禄11年(1698)水野氏も断絶し

 

その後は天領となり

代官所も置かれますが

天領の内約半分を中津藩奥平氏へわけたので

(お姫様の持参金として)

代官所は7年で廃止され

大森代官所の陣屋がおかれました

 

 

「上下銀」という制度が知られています

 

陣屋(代官所)が石見銀山の銀を元手として

上下の有力商人に掛屋(金融貸付業)を営ませ

金主が陣屋へ金子を差し出しこれを代官手付の責任で貸しだしたもの

そこで生まれた利潤によって銀山からの銀産出量の減少分を補っていたとのことで

33、34軒の両替商が軒を連ね

また物資の集散地としても栄えました(wikiより)

 

 

ところでこの資料館は

田山花袋「布団」のモデルとなった

岡田美知代さんの生家を改築したものだそうです

 

師である田山花袋は

美知代の同意なく

恋愛の対象としてモデルにしたので

当時はいろいろと憶測され

田山花袋は詫びの為に上下町に来たとも・・

(岡田家は裕福なのでお金を借りに来たとも)

 

 

展示室には

後に東宮侍従を勤めた角倉志朗さんの展示もありました
 
角倉(すみくら)家も裕福な家ですが
お家が残っているようなのでいってみました(続く)