お天気もよく

ウォーキング日和

広島東照宮へもお参りしました

 

慶安元年(1648)

二代藩主浅野光晟(みつあきら)公の生母は

家康公の第三女振姫(ふりひめ)

祖父にあたる

家康公の御遺徳を敬慕し創建されました

 

 

唐門までの長い石段をあがっていきます

左右にのびる翼廊と唐門

 

 

扁額に「長尾山(ちょうびさん)」と

お寺の山号があるのは

 

広島東照宮の建立にあたり

江戸の上野寛永寺の末寺の

長尾山(ちょうびさん)松栄寺別当寺としたことから広島の風景-寺社仏閣-広島東照宮 (hiroshima.squares.net)

 

いつも息切れしながら

急傾斜の石段をあがるので

山号のことにあまり気がまわらず

 

後背の二葉山の奥に

尾長山(おながやま)という山があり

何か関係あるのかな?と思うくらいでした

 

 

本殿は一部修復中

この日はお日柄よく

お宮参りのご家族がおられました

 

 

昨年秋に修復を終えた本地堂は

徳川家康の本地である薬師如来を祀っています

 

春慶塗という技法だそうで

屋根の宝珠・四隅に鬼瓦が特徴

 

 

蟇股の彫刻はなんでしょう

牛に童子?・・よく見えずですが

美しい彩色です

 

 

ところで

唐門の扁額の「長尾山(ちょうびさん)」

二葉山の東奥隣の尾長山(おながやま)

 

漢字で書くと似ていますが

どうも直接の関係はないのかも・・

 

尾長山(おながやま)の地名の由来は

「知新集」によると

むかし此所海辺にて地かたハ山の尾にそひて長々しきゆゑと

 

遠い昔はこのあたりまで海で

尾っぽのように横長い山から名付けられたようです

 

なお「知新集」とは、江戸時代における広島町奉行管内の地誌で、広島藩地誌「芸藩通志」の編集の下調査書の一つ。

西町奉行菅求馬、町役人の山県屋、安田屋らが史料を集め更に藩士で文人の飯田利矩(篤老)(とくろう)が主任として加わって文政2年(1819)から文政5年(1822)までの間に整理編集されたもの(広島市教育委員会)

 

また二葉山の名は

天保6年(1835)饒津神社創祀の際に

 

金葉集・摂政左大臣藤原忠通卿への歌

「いかばかり 神もうれしと 三笠山 二葉の松の 千代のけしきを」 

新続古今集・後徳大寺左大臣の歌

「住吉の 松は昔の 二葉より 久しき事の ためしにぞひく」

 

から名付けられたようです(饒津神社HPより)

 

いろいろ発見があり

ちょっと嬉しかったです