だいぶ前に中公新書

関和彦さんの『古代農民忍羽を訪ねて(1998)』

を読みました

養老5年(721)の戸籍を調べたら

葛飾に「トラ」や「サクラ」という名の古代人が住んでいたことがわかり

庶民の生活に迫った本でした

 

『古代の人・ひと・ヒト』

吉川弘文館歴史文化ライブラリー 2022年

を書かれた三宅和朗さんも

この本を読み

歴史には「個」があることを意識されたそうです


またまた備忘録残します

〇エピローグ
養老令の戸令造戸籍条:戸籍は6年に一度作成 1月上旬から始めて書式を定め50戸一里単位に巻として三通を写して紙の継ぎ目の裏側には国・郡・里・何年の籍と注する 翌年5月30日までに作成し二通は太政官(民部省・中務省)一通は各国に留める 中務省あての戸籍は天皇の御覧にあて天皇の全国支配を意味する 天智9年(670)庚午年籍は最初 持年4年(690)庚寅年籍から6年に一度となる 11関喜初頭まで戸籍が作製されていた 戸単位に戸主・戸口の姓名・続柄・年齢・正丁少丁などの年齢区分 兵士・障害・病気 戸ごとの戸口の内訳 不課口の女性名が多い(偽籍) 
計帳とは調庸収集のために京・国が毎年太政官に提出した文書で調庸賦課の基本台帳 京国の官司は毎年6月30日までに所部の手実(戸主が戸口の実情を申告する文書)を提出 これをもとに目録(戸数・国数・調庸物数の集計目録)を作製して8月30日までに太政官に申し送る 各国で作製された歴名もある 計帳には身体的特徴も記載(黒子・こぶ・きず・いぼ・あざ・无印(むじるし)もあった) 家号(やごう)はあっても地元では機能せず 字名(あざな=通称)は用いられた 古代は定性的把握であった 人間にとって身近な人間も環境いえる

〇古代の人々と人名
『日本霊異記』9C前半僧景戒編の仏教説話集 上巻35中巻42下巻39の計116話 善悪の因果応報を語る「自土の奇事」 律令下では個々の姓は父方の姓で誕生時に母が名前を命名する 登場人物は国郡姓名が記載されているものもあれば、姓名詳かならずもある 実名敬避の慣習が地域社会の人々の心性にあり姓名が使用されなかったかも それが字名の使用につながった 出身地や氏族からの名は本人から 地域の人間関係から生み出された名もあった 名替え(人名変更)は通過儀礼や婚姻や政治的毀誉褒貶や天皇・藤原氏の敬避でもおきた
(9C前半嵯峨朝「人名一新」により誕生時の幼名を成人時に実名に改める(中国風)が広がり10-11C中世的命名へ)

〇古代の人々と障害者・病者 
戸令目盲条(養老令)税負担が異なっている 残疾・廃疾・篤疾(篤疾には侍丁がひとり支給される) 課役負担能力が基準 日本霊異記の善報譚には障害や病気が治癒し各人の病気などは戸令目盲条と一致するが区分は記されていない 悪報譚では戸令目盲条と病名などは同一ではないが区分は記されない 障害や病気は因果応報のもとで位置付けられた 古事記・日本書記では基層信仰(神の助け・タマフリ・神社の建立)で治癒とある

〇古代の人々の身長
古事記・日本書記では神武天皇「大王の出現」崇神・垂仁「国家の基礎固め」景行・ヤマトタケル・(成務)・仲哀「国内統一→外征」 景行・ヤマトタケル・仲哀は長身とあり対外外交に対峙できる身体と表現された 雄略天皇もヒトコトヌシ(長人)と同じ姿 高御座(タカミクラ・元日朝賀や天皇即位儀に使用)は大極殿にあり大極殿院の2/3は礫敷の前庭でその間に塼積擁壁(せんづみようへき)があって前庭が一定の傾斜があり擁壁上と大極殿南門基壇面との高低差が4.685mある 天皇は実物以上に威容で高身長に見えただろう 追儺の方相氏(ほうそうし)役は六尺三寸以上(186㎝)を選ぶとある 方相氏はもともと鬼追い役だったが鬼役に変化した 閻魔大王や春日明神も絵巻では巨大に描かれる 異界境界とかかわると身長は伸び縮みする 漂着者も大人・少人 異界の存在を感じていた ツヌガアラシトは頭に角がある(垂仁期) オオムナチは大人・スクナヒコナは少人 ダイダラ坊・一寸法師・かぐや姫 古代の成人男子の平均身長は五尺余

〇古代の人々と顔
歴史に個がある 正倉院文書の大大論の戯画人物 人面墨書土器 日本霊異記の登場人物 人相見・鏡・水面 絵師 年中行事絵巻巻3の闘鶏の見物人の表情にも個が見られる

関和彦『古代農民忍羽を訪ねて(1998)』『古代に行った男ありけり(2012)』