宮島の続きです
厳島神社からは西へ進んで
みやじマリン(水族館)近くのすぐ奥にある
大元神社へお参りしました
 
扁額には大元宮とあります
 
名前の通り
厳島神社よりも古くからあった地主神ともいわれ
御祭神は
大山祇神・保食神・国常立尊です
(対岸の大頭神社も同じ神です)
 
 
絵馬の中に「御島回」とあります
 
厳島神社参拝に厳重な潔斎をする為
「御島廻式」という神事で
海上から七浦神社を廻り
最後はここ大元神社へ訪れます

宮島の古い信仰のなごりと思われます
 
七浦神社とは実は9つあります

杉之浦神社:底津少童命(そこつわたつみのみこと)
包ヶ浦神社:塩土翁(しおつちのおぢ)
鷹巣浦神社:底筒男命(そこつつのおのみこと)
腰少浦神社:中津少童命(なかつわたつみのみこと)
青海苔浦神社:中筒男命(なかつつのおのみこと)
養父崎神社:霊鴉神(ごがらすのかみ)祭典後御鳥喰式が沖合で行われる。
山白浜神社:表津少童命(うわつわたつみのみこと)
須屋浦神社:上筒男命(うわつつのおのみこと)
御床神社:三女神・仮遷座されたところで岩盤の亀裂が現在の神紋の三亀甲剣花菱の起こりと伝えられている

 

さて大元神社の社殿は

三間社流造り玉殿は三殿

屋根は特殊な長板葺き(大元葺)

 

静かな場所ということもありますが

ここに来るといにしえの宮島を感じます

 

 

また毎年1月20日は

百手祭(ももてさい)が行われます

 

百手(1手2本)200本の弓矢を射る御弓始の儀式で
現在は的の裏面に甲・乙・ム(こう・おつ・なし)の3文字を組み合わせた“鬼”に似せた文字が書いてあり、この字には「年の始めから争いごとはしない」という含みをもっていて
神事の後の直会では「餝飯(ほうはん)」という熟饌(調理された神饌)がお供えされますが、戦国時代の野戦食ともいわれます
 
ここは厳島合戦の戦場のひとつでもありました
争いごとはしないという誓いの神事でしょうか
 

さて西の松原から戻ります

引き潮で大鳥居まで人がいます

 

 

さらに厳島神社の裏手を通って

 

 

古い街道である町屋通りへ行こうとおもったら

あれ・・

旅館とばかり思っていた大きな施設は

「宮島まちづくり交流センター」とあります

 

 

一階は役所

二階はホール(落語の会の最中でした)

三階は展望ルームがあって

まるで京都のような風景!

 

五重塔と千畳閣と同じ高さですね

ここは休憩もできておすすめの場所です

 

 

外に出て

塔の岡トンネルをくぐって幸町へでると

そこにあったのは誓真釣井(せいしんつるい)

 

誓真は伊予国出身で広島で米商していましたが

宮島に渡って神泉寺の番僧となり

托鉢しながら

天明2年(1783)~寛政7年(1795)の12年間

宮島の10カ所に井戸を掘ったと伝わります

 

また誓真は

杓子(しゃくし)を考案し広めた人です

 

宮島には

鎌倉時代頃から社寺の建築の為に

各地から宮大工や指物師が集まったので

その技術をいかした杓子つくりで

生活の安定を図ったのでしょう

 

今も宮島細工の伝統は続いています

 

 
幸町には五重塔が見える辻があり

 

 

幸神社があったことは

ブラタモリでも紹介されましたが

かつては金(鉄)鳥居があったようで

金鳥居の辻ともよばれたそうです

 

もう少し宮島続きます