広島の三越の隣りにある
胡子神社へ初詣に行きました
 
社殿はビルの一角にあります
 

毎年11月18日(神社では17日)から20日まで

えびす講という大きな祭礼があり

「こまざらえ」と呼ばれる熊手を売るお店も出て

たくさんの人々で賑わいます

 

御祭神は蛭子神・事代主神と

毛利家の始祖にあたる大江広元公です

 

慶長8年(1603)町の年寄役銭屋又兵衛と大年寄松屋太郎右衛門が、町内繁栄の為に、吉田の胡堂に祀られていたえびす神を現在の地に勧請したのが創始(HPより)

 

吉田は現在の安芸高田市になり

毛利元就の郡山城があったところです

 

 

さて大江広元について・・

 

桓武天皇の母である高野新笠の母方は土師真妹で

野見宿禰を祖とする土師氏

この一族から大江氏・菅原氏が出ました

 

建久3年(1192)大江広元は
源頼朝に朝廷の内情や法知識をかわれて
京都から招聘され
政所初代別当を務めるなど幕府に大きく貢献
「相模国毛利庄」に領地を得ます
 
現在も厚木市には毛利町という地名が残っています
 
広元の四男の季光は毛利庄に居住し
父親の姓であった「大江」を「毛利」に改めました
承久3年(1221) 広元四男季光は承久の乱で功績をあげます
 
宝治元年(1247)
三浦一族の乱で季光は敗しましたが
四男の経光は越後国刈羽郡佐橋庄南条を領し、関東を離れていたため難をのがれました
また安芸国吉田庄も同時に領していました
宝治元年(1247) 
季光四男経光は佐橋庄で毛利姓を継ぎ
建武3年(1336) 経光四男時親は吉田庄へ移る
 
なぜか毛利家は四男が継承していますね
そして時親の血筋から毛利元就が生まれました
 
系図が神社の前にも書かれています