礒宮八幡神社は
いそのみやはちまんじんじゃと読みます
 
広島県竹原市の港に近いところの
山麓にあります

 

 

広い境内に大きな幟

地域の方々に篤く崇拝されているのが伝わります

 

 

由来を調べると・・(竹原市より)

 

鎌倉幕府の御家人であった後藤実元が

建久5年(1192)豊前国宇佐宮から勧請したと伝わる

もとは鳳伏山に建てられ

成井川が海に入る磯辺にあったので

礒宮と呼ばれるようになり

実元の子孫代々の守護神であったと

 

 

万治元年(1658)

当時の神官であった唐崎正信により現在地に遷宮

正信は長男定信に礒宮を継がせ

以後代々唐崎家が神主を継ぐようになりました

 

定信は京都で山崎闇斎から垂加神道を学んで帰郷し

竹原の町人に広めるなど儒学者としても活動し

定信の後にも唐崎家からは儒学者が輩出

 

 

境内には忠孝岩があります

 

勤皇家でもあった唐崎家5代神主の唐崎常陸介は

地元に人々に尊皇論を根付かせようとして

千引岩に宗の文天祥筆の「忠孝」の二文字を

刻んだものと伝えられ

礒宮とあわせて県史跡に指定(竹屋市HPより)

 

 

その岩を探したら

天満宮の手前の大石にかかれていました

 

 
隅々まで掃き清められた境内でした