またまた古代官道に沿って進み
福岡県京都郡みやこ町まで来ました
京都と書いて「みやこ」
調べると景行天皇の故事と関係あるようです
『日本書紀』景行天皇12年9月5日条。景行天皇は筑紫に巡行して周防灘沿岸の反対勢力を滅ぼした後「豊前国長峡県(ながおのあがた)」に至り行宮を建てたので、その地を京(みやこ)というとあり、京都(みやこ)郡の地名起源説話とされている。
『豊後国風土記』大分郡条にみえる「豊前国京都行宮」も当地のことであり現大字長尾(ながお)がその遺称地とされる。(出典:平凡社「日本歴史地名大系」)
そんなみやこ町には
豊前国総社の総社八幡宮がありました
※豊国は701年大宝律令で
豊国は豊前国と豊後国にわかれました