またまた古代官道に沿って進み
福岡県京都郡みやこ町まで来ました
 
京都と書いて「みやこ」
調べると景行天皇の故事と関係あるようです
 
『日本書紀』景行天皇12年9月5日条。景行天皇は筑紫に巡行して周防灘沿岸の反対勢力を滅ぼした後「豊前国長峡県(ながおのあがた)」に至り行宮を建てたので、その地を京(みやこ)というとあり、京都(みやこ)郡の地名起源説話とされている。
『豊後国風土記』大分郡条にみえる「豊前国京都行宮」も当地のことであり現大字長尾(ながお)がその遺称地とされる。(出典:平凡社「日本歴史地名大系」)
 
そんなみやこ町には
豊前国総社の総社八幡宮がありました
 
※豊国は701年大宝律令で
豊国は豊前国と豊後国にわかれました

 

 

総社は

国司が国中の神社に祈りをささげる神社です

 

 

お隣は備前国国府があったところで

(今は備前国府跡公園)

政庁を中心に南北650m東西490mの範囲が国府域

300m南方には大宰府官道が通っていました

 

 

古来の工法(版築)で築地塀が再現されていたり

 

 

中門跡(八脚門・東西6.8m・南北3.4m)

 

 

築地塀跡

(雨溝の東側の溝は幅80㎝前後・深さは最も深いところで1.5mほどもあった

 

 

正殿跡

この日は休日でサッカーチームや

地元の子どもたちがのびのび走り回ってました