読みやすく
面白い本でした
 
国史である六国史
(日本書紀、続日本後紀、日本後紀、続日本後紀、日本文徳天皇実録、日本三代実録)が成立する前には
どんな本が存在し六国史へつながったのか
 
まずは
『帝紀・旧辞』(共に現存していないが引用されている文献から推論できる)
 
『帝紀』は天皇の系譜
 
稲荷山古墳の鉄剣には
古墳主のヲワケとワカタケル(雄略)の文字
雄略朝(5世紀後半)には
大王家の系譜ができ文字化されていたのではと
(通説では欽明朝)
 
『旧辞』は天皇の系譜と神話
 
白雉5年(654)遣唐使は
国の成り立ちを聞かれ全員が答えているので
すでに神話は確定し文字化されている証拠
 
大嘗祭で地方の語り部が奏上する国々の神話は
服属儀礼であると同時に
相互に還流しあって類似性と多様性を生んだ
 
その完成は推古朝では・・
 
推古朝は蘇我氏全盛期
天皇記・国記があったようだ(共に散逸)
 
天皇記は
蘇我氏に都合よく書かれていただろう
乙巳の変で甘樫丘の蘇我宗家が燃える時
船史恵尺は天皇記は焼けるに任せ国記を取り出して
中大兄皇子へ渡した
 
国記は
天皇記の権威に接続する形で作られた地方民の系譜
中大兄皇子(天智天皇)は
大化の改新の推進の為にこれを利用し
租税労役・兵役の挑発に使った
そして庚午年籍(670)へとつながった
 
一方、推古天皇の摂政の厩戸皇子(上宮王家)は
後継問題で蘇我氏と対立した
『上宮記(じょうぐうき)』は天皇記(蘇我系)と同じく上古の歴史を記したものだろう
中世に散逸してしまったが
法隆寺・四天王寺・橘寺では
厩戸皇子の功績を讃え伝え上宮記は発展的に解消した
 
『古事記』は
蘇我氏に不都合な記述がなく
厩戸皇子の話もない
建内宿禰の系譜には蘇賀石河宿禰が記されている(日本書記にはない記述)
乙巳の変で蘇我宗家は滅びたが
対抗していた蘇我倉山田石川麻呂の筋は残ったので
天皇記(推古朝まで書かれていた)をベースにして
追記されたのが『古事記』だったでは・・
 
大化5年(649)蘇我倉山田石川麻呂は
謀反を疑われ孝徳天皇により滅ぼされるが
二人の娘(越智娘・姪娘)は天智天皇に嫁ぎ
それぞれ鸕野讃良(持統天皇)・阿閉皇女(元明天皇)となる

 

著者:関根淳 吉川弘文館歴史文化ライブラリー