先日ブラタモリでも紹介された
高松城へ行ってみました
(現在は玉藻公園)
 
天正15年(1587)
豊臣秀吉の家臣だった
生駒親正が築城
(慶長2年(1597)には丸亀城も築城)
 
駐車場(桜の馬場)に車を停めて
旭橋を渡って旭門(大手門)をくぐります

 

 

枡形の石垣が大きくて立派です

 

生駒氏は四代続きますが生駒騒動で

出羽国矢島藩1万石に転封

 

寛永19年(1642)

水戸藩初代徳川頼房の子の松平頼重が12万石で入封

家康の孫ですね

 

 

艮櫓(うしとらやぐら)は

延宝5年(1677)北東の隅に建てられましたが

昭和42年に現在の太鼓櫓台に移されました

 

 

高松空襲で破壊された桜御門は

近年復元されました

 

披雲閣の正門に当たる櫓です

 

 

披雲閣というのは

藩の政務所で藩主の住まいでした

 

 

ところで

高松藩と水戸藩とは親戚関係

 

高松藩

初代の松平頼重は光圀(水戸藩)の同母兄

二代目は松平頼常(光圀の側室の子)

三代目は頼豊は初代頼重の孫で

その子宗尭(むねたか)は水戸藩四代目となる

 

水戸藩

初代:徳川頼房

二代目:光圀

三代目:綱条(つなえだ)は高松藩初代頼重の子

四代目:徳川宗尭(むねたか)は頼重の孫

 

光圀が兄をさしおいて水戸藩主になり

兄に申し訳ない気持ちがあったとか

正妻との間に子なく側室の子を高松へ出したなど

複雑な姻戚関係に

 

結局のところ

高松藩初代の松平頼重の子孫が

水戸藩を継承しました

 

 

現在の披雲閣は

大正6年(1917)に再建

松平家12代当主松平頼壽の別邸および

香川県の迎賓館的な役割とか

 

 

お庭を歩いて海の方へ

 

 

月見櫓・水手御門・渡櫓が見えてきました

 

 

手前には水門が音を立てて

海水を引き入れています

 

 

「内堀に鯛が泳ぐ」というのは

こういうことなのかと思いつつ

海城の仕組みを見ようと

 

 

うっかり門の外へ・・

 

もう一度園内へ戻ろうとしたら

受付のおばあさんから再入場200円と言われw

 

暑かったこともあり

まっいいかとそのまま外へでました

(月見櫓あたり見ておくべきでした)

 

 

駐車場で待機していた相方さんが

車を移動して迎えに来てくれたので助かりました

 

ここは高松駅

 

 

そして

琴電(市電)がコトコト走っていきました