元伊勢三社の最後は
元伊勢下宮豊受大神社へ
豊受大神(とようけおおかみ)は
食物の神の御饌都神(みけつかみ)で
丹後地方に多く祀られている神です
ここの元伊勢はもともと
天照大神と豊受大神の二神を祀っていたのを
先に天照大神、後で豊受大神が伊勢へ遷られたとあります
宮津にある丹後一宮の元伊勢籠宮も同じ由緒です
伊勢神宮によると
「豊受大神宮のご鎮座は『止由気宮儀式帳』や『豊受皇太神御鎮座本紀』によると、雄略天皇の御代に、天照大御神が天皇の夢に現れてお告げをされたことによります。その内容は「一所のみ坐せば甚苦し」ということと「大御饌も安く聞食さず坐すが故に、丹波国の比治の真名井に坐す我が御饌都神、等由気大神を、我許もが」と教え諭されたことでした。天皇は夢から目覚められて、等由気大神を丹波国からお呼びになり、度会の山田原に立派な宮殿を建て、祭祀を始められました」とあり
「豊受大神宮のご鎮座は『止由気宮儀式帳』や『豊受皇太神御鎮座本紀』によると、雄略天皇の御代に、天照大御神が天皇の夢に現れてお告げをされたことによります。その内容は「一所のみ坐せば甚苦し」ということと「大御饌も安く聞食さず坐すが故に、丹波国の比治の真名井に坐す我が御饌都神、等由気大神を、我許もが」と教え諭されたことでした。天皇は夢から目覚められて、等由気大神を丹波国からお呼びになり、度会の山田原に立派な宮殿を建て、祭祀を始められました」とあり
伊勢神宮内宮よりも500年後に下宮に鎮座されました
さて、元伊勢内宮より宮川に沿って
国道9号線を3.5キロほど南下した船岡山に
元伊勢下宮豊受神社がありました
ここには大きな鳥居がありません
石段を上がっていくと