次に向かったのは鳥取城

 

鳥取藩といえば---

徳川家康の血筋の親藩で

池田家が治めたけれど

幕末には新政府側について維新に貢献した

 

---それくらいの前知識しかなかったのですが

いやはやとても立派なお城でした

 

県立博物館近くの

西坂下御門(復元)から入りました

 

 
整備された石段をあがると
 
 
目の前に
三階櫓の石垣がそびえます
 
この時は気が付きませんでしたが
右の一段上がった手前角の下に
お左近の手水鉢が埋め込まれています
 
お左近(さこ)は城の改築で活躍した女中とか
 
 
左手には右膳の丸跡の平地があり
ベンチでやすんでおられる方がいました
気持ちよさそうです

 

 

右膳の丸跡をてくてく歩き

一段上にある角櫓跡へ向かう為

木々に覆われた石垣を上がると

 

 

 二の丸跡が広がっています

 

 

少し高くなっている

三階櫓へもあがりました

 

建物は明治になって解体されましたが

 

 

おそらく

お城下からよく見える建物だったでしょう

 

(天守閣は後背の久松山山頂にあったのですが

焼失してからは再建されませんでした)

 

眼下には

仁風閣もよく見えます(後述)

 

 

下へ降りる階段がありましたが
もうちょっともうちょっとと頑張って
二の丸を歩き続けて
 
 
目の前の階段が天球丸への道とは気付かず
そのまま歩き続けました
 
天球丸というのは慶長 5年(1600)
関ヶ原合戦後に城主となった池田長吉の姉の
天球院の居所があったという伝承に因んだ場所
 
 
傾斜のあるクランクを
右へ左へと折れながら
表御門跡を過ぎて
天球丸の向こう側へ出ると
 
あっありました!
天球丸の巻石垣(復元)
 
江戸時代後期に石垣の崩落を防ぐために
継ぎ足されたものですが
なんとも不思議な石垣です
 
 
ここからは降りていきます
 
お散歩の方々と
ご挨拶したりしながら
 
 
だいぶ下がったところに
高さ7mの太鼓御門の石垣がありました
 
城内に入ってすぐに突き当たる門で
時を知らせる太鼓が据えられていました
 
この先に
中ノ御門と擬宝珠橋(共に復元)があり
大手口となっている次第
 
登城とは逆ルートですね(笑)
 
【鳥取城】
16世紀中頃但馬山名氏が築城し、武田氏、因幡守護山名氏と城主を変え、1580年秀吉が鳥取城攻めるも、毛利方が歳奪取し、1581年秀吉二度目の鳥取城攻めは過酷な兵糧攻めとなり、城主の吉川経家の切腹で降伏
新たに入場した宮部継潤が近世城郭に改修
1600年関ヶ原の戦いで西軍につき破れ、池田長吉が城主になる
1617年池田光政が城主(元姫路城主で減封され転封)
1632年池田光仲が城主となる(池田輝政の孫で元岡山城主だがいとこの光政と国替え
以後、鳥取城は鳥取池田家12代の居城となりました
 
 

鳥取城のパンフレット | 鳥取城のガイド | 攻城団 (kojodan.jp)