19日の金曜日に
3ヶ月ぶりに宮島に行きました

夜中の大雨が上がって
少し肌寒いくらいの気温で
絶好のウォーキング日和

今回のウォーキングのテーマは『厳島合戦』
毛利元就と大内氏を滅ぼした陶晴賢との戦いです

さて、宮島に着いたら
厳島神社とは反対の東の海沿いを歩きます

まずは長浜神社を越え
(管絃祭で本土の地御前神社から渡御した御座船がまず到着する神社です・振り返ってみた写真です)


さらに20分ほど歩いて
杉の浦神社を過ぎ
(振り返ってみた写真)


ここからは少し山へ入り
なだらかな坂道を上がっておりて
途中で鹿さんの日向ぼっこみたりして
トンネルを抜けたら


再び海沿いの道となって
桟橋から40分くらいかかったかな

目的地の『包が浦』に到着しました


ここは弘治元年(1555)
毛利元就が村上水軍の協力を得て
対岸の廿日市より上陸した場所

元就は『包が浦』という地名だと知り
「鼓はうつべきもの もはや敵は撃たれたも同然」と兵を鼓舞し、兵糧を廿日市へ戻し、背水の陣で戦いに挑みました


合戦の詳細は諸説あるようですが---
陶晴賢は、毛利の宮尾城を攻めるため宮島へ渡海し塔の岡(五重塔のある岡)に布陣して宮尾城を圧迫

これに対し、毛利軍は嵐の中、対岸の地御前に集結し宮島へ向かいます
毛利元就の本隊は包が浦から上陸し、山中を山越え進軍し、紅葉谷から陶軍の背後を襲います
これに呼応し、小早川隆景軍は宮尾城籠城隊と合流して陶軍のいる塔の岡へ
さらに、塔の岡での戦いが始まると海上で待機していた村上水軍が陶軍の船を焼き払い、陶軍は行き場を失い毛利軍は勝利します


包が浦は
広い静かな砂浜が広がり
キャビンやビーチバレー場もあり
自然公園も整備されています

嵐の夜
鎧兜を濡らす兵の姿がここにあったのでしょう


桟橋もありましたが
使われているのでしょうか

ここからは
元来た道を折り返しました
気温も湿度も快適で
不思議に疲れもほとんど感じません(続く)