JOCの竹田会長の辞任されました
『明治天皇の玄孫』の竹田恒泰さんのお父さんですね

先日
品川プリンスホテルに行った時に
貴賓館が旧竹田宮邸と知り
さらっと歴史を調べてみました

明治天皇の皇子は一人ですが
側室との間に皇女をたくさんもうけていて
第六皇女の昌子女王は
北白川宮能久の第一子恒久と結婚し竹田宮家を創設しました

歴史好きな方々にとっては
最後の輪王寺宮であった北白川宮能久の存在に注目されるのではないでしょうか

北白川宮能久は一歳で仁孝天皇の猶子となり
後に京都を離れ寛永寺、輪王寺座主を継承します

江戸初期のこと---天海は、徳川幕府に重大な危機が及んだ際に備えて、驚くべき装置を用意していました
それは、皇子の一人を輪王寺宮として据え、幕府転覆の際にはその皇子を幕府側の天皇として擁立する---南北朝時代を思わせる秘策ですが、幕末には現実にその装置が発動されました
北白川宮能久は上野戦争の最中に北上し、奥羽列藩同盟の盟主となります

しかし新政府軍に降伏し、京都で蟄居
後に皇籍復帰を認められ、イギリス留学、プロイセン留学と軍人の道を進みますが
プロイセン留学中にはドイツ人女性との婚約するも、岩倉具視の説得で破棄となり謹慎
謹慎がとけると陸軍少尉・中尉となり、台湾征討近衛師団長として台湾に赴任するもマラリアにて薨去---陸軍大将の名で『台湾神社』に祭られました

竹田恒和さんはそんな北白川宮能久の
玄孫にあたります