これまでのあらすじ:

 トミタ自動車会長の沖川は、IT分野で急速に発展しているライフケアのイリエモンこと入江社長を、A県にあるトミタ自動車本社に招いた。経済団体連盟=経団連の会長でもある沖川は、入江を面白い存在として、経団連入りを誘いかけていた。その返事を沖川は待っていた。入江は、経団連に入ると返事をするのだった。秘書室長との雑談で、この話を聞いた富田創業家のトミタ自動車名誉CEOで、トミタ元会長の富田雄一郎は、なぜ沖川が、二代前の経団連会長である自分に相談もなく決めてしまうのか、いぶかしんだ。さらに、最近とみに独断的になっている沖川に不審の念を覚えるのだった。

雄一郎は、父親でトミタ自動車設立者の富田錬太郎の従弟で、雄一郎の一代前の社長・会長だった富田秀二を入院先の会社の病院に訪ねた。秀二は、沖川の功績を認めながらも、現在の沖川のやり方が、富田グループ、トミタ自動車の創業精神から大きく逸脱していると論じる。そして、このままでは雄一郎の息子、保男の社長就任もなくなるだろうと心配するのだった。雄一郎は、秀二の言葉に、このままでは、トミタが存立の意義が大きく変わってしまうと、ついに決意を固めた。

 しかし、沖川は、トミタ中興の祖とまで社内で言われている。切ることはできないし、富田一族の株式の持ち株比率は数パーセントしかない。表立って戦うことなどできないという厳しい現実が横たわる。そんな思いで家に帰ると、息子の保男が来ていた。トミタの下請けZ機械と契約しようとする半田自動車のやり方に、保男は怒っていた。Z機械を追い詰め、半田と一戦構えたいと主張する保男に、雄一郎は、戦うだけが王者ではないと諭すのだった。

 雄一郎の祖父・巌雄も、父・廉太郎も、決して競争ということを意識しなかった。常にあったのは、国民がいかに食べていけるかであり、国家をまず考えていた。そして、同業他社との共存共栄であった。

 雄一郎は、沖川と知り合ったタイでの思い出を回想していた。タイでの気配りと言い、精力的な活動といい、あの時、確かにトミタを活気ある会社にするのは、この男だと考えた。あの時、タイに家族で駐在する娘婿の外交官、藤田ともどもタイのレストランで食事した時、沖川は、「このままではトミタは日本の業界で2位、3位になってしまう」と言った。雄一郎の前で、なぜトミタがだめになるのか、その思いのたけを吐露した沖川だった。

 その後、しばしば2人は日本やタイで会い、トミタ自動車工業とトミタ自動車販売が合併することが、新生トミタに必要だということで意見が一致する。>



 雄一郎は、トミタの自工と自販の合併の必要性を、いつ社長の秀二に言おうかと、気をもんでいた。しかし、なかなか言い出せない。

 トミタは、雄一郎の父親の錬太郎が作ったものとはいえ、一族の長老的立場の秀二には、遠慮がある。秀二は、富田グループの創設者で錬太郎の父、雄一郎にとっては祖父に当たる巌雄の弟の息子だった。

 雄一郎は、ごくたまにだが、秀二の自宅を訪れて、碁を打つことがあった。しばらく行っていないことに気づき、碁をするのを理由に、話してみようかと思った。もともと、碁を打ちに行くと言っても、それを理由に、会社の中では言いづらいことを忌憚なく言うということが、これまでにも何度もあった。

 沖川と工販合併で意見が一致してからひと月ほどたって、思い立った雄一郎は、夜、自宅から秀二の家に電話をかけた。

 電話に出たお手伝いから秀二に変わった。

 「夜分、申し訳ありません」

 「いや、構わないよ。なんだね」

 「そろそろ、また碁を打ちたいと思いまして」

 「ああ、もうしばらくやってないな」

 「はい」

 「じゃあ、今度の日曜日はあいているかね。3時ごろでどうだい」

 「少しお待ちください」

 ねんのため、手帳を取り出して、日程を調べる。日曜日は、秀二に代わって出席するセレモニーが結構入っているが、幸い、この日は何もなかった。

 「大丈夫です。では3時にお伺いします」

 「じゃあ、準備をして待っているよ」

 「どうぞ、お手柔らかに」

 「わっはっは、何も言ってるんだね」

 笑い声とともに、電話が切れた。

 

 次の日曜日、同じN市にある秀二の自宅に、雄一郎は、自分ひとりで車を運転して行った。もちろんトミタ車である自宅にある3番目の車でスポーツ車のトミタ・スポーツだった。だいぶ前に製造され始めた車だが、当時は、トミタでもスポーツカーを作るんだと評判になった。しかし、最近はマイナーチェンジを繰り返すだけで、トミタはもうこの車は作らないのではないかと噂されていた。

 30分もかからないうちに秀二の自宅についた。秀二の妻に挨拶もそこそこに、碁などの時に使っている離れに案内された。8畳間に通されると、秀二が、碁盤を前に座っていた。


 「おう、来たね」

 「今日は勝たせてもらいますよ」

 「そういうわけにいかんよ。勝負は勝負だ。私情はさしはさまないよ」

 「分かっております」

 そう言って、雄一郎は、どっかりと座布団の上に腰を下ろした。

 「君から行けよ」

 「いいんですか」

 「いっこうに構わん。なんなら、石をいくつか置いてもらってもいいよ」

 「これは参りましたね。それじゃ、碁になりませんよ」

 「いやいや、僕は本気だよ」

 と言って、秀二はにやりと笑った。その顔には、

 『今日は、何が言いたいのだ』

 という文字が書かれているようだった。何食わぬ顔をして、雄一郎は、最初の石を置き始めた。そして、相手の座っている近いところにズバッと打ち込んだ。

 「珍しいじゃないか、君がここから打つなんて」

 「そうでしたか」

 と、雄一郎はとぼけたように答える。答えながら、雄一郎は

 『さて、どうやって工販合併を秀二に納得させるか』

 と、家で考えてきた話の持って生き方に誤りがないかどうか、考えていた。

 その時、秀二の手が伸びてきた。石は、対角線上に、雄一郎が打ったところとまったく対称になるように置かれた。