頼朝と政子
『頼朝と政子の像』

伊豆長岡市の蛭ヶ島あるいは蛭ヶ小島にて。

 ここは、源頼朝が流されてきて、落ち着いたところ。今は公園になっています。うまいそばとうどんのお店がありました。頼朝が流されてきた時代は、狩野川の三角州で、蛭がたくさんいたとは、うどん屋のおかみさんの話です。

 しかし、頼朝もなかなかやりますなあ。この地で頼朝と政子は結ばれましたが、頼朝31歳、政子21歳。頼朝が奥手だというかと、そうでもなさそうです。政子と関係をもつ前に、伊東の豪族・伊東祐親の娘、八重姫と恋仲になり、子供ができます。平家である祐親は、怒って子供を川に投げ込み、八重姫を幽閉しますが、八重姫は逃げ出し、ついに頼朝と政子の仲を許したこれまた平家一門の北条時政の居館にやってきて、頼朝に会わせてくれるように頼みます。しかし、門番に冷たくあしらわれ、悲観した八重姫は、狩野側に身を投げるのです。

 思えば、頼朝は、京都ですんでのところで平清盛に命を助けられますが、田舎に来れば、回りは平家だらけとはいえ、没落した源氏の大将の息子で都の貴公子。今を盛りの平家の女性たちにとって、可哀そうな身の上で、しかも都人。男はともかく女の同情が集まらないわけがありません。そして、恋心を抱く若い女性が何人も現れたことでしょう。それをいいことに、頼朝は、次々と平家の女性を・・・と推測すると、うーん、許せません。