○ブログの下の方に「これまでのあらすじ」があります


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 翌日、大川は、兼山の筆頭秘書、川原を赤坂の料亭に呼び出した。お互い忙しいので、特別に午後三時に部屋を用意させたのだ。大川は、

「ちょっと出かける」

 とだけ言って、議員会館を抜け出した。すでに、川原は到着していた。部屋は、奥まったところにある小部屋で、隠し部屋ともよばれるところだった。変則な五畳ほどの広さである。テーブルに、お茶と乾きもののようまものが乗っていた。

「昨夜は、突然先生から電話があり、びっくりしました。なんか大変な出来事があったのでしょうか」

 「いや、何もないよ。ただ、ちょっと知りたいことがあったんだ。オヤジは、今でも、奥方のいいなりか」

 「ああ、そのことですか。私どもは、せいぜい立ち入ることができるのは、オヤジさんの家でも、リビング、台所まででして、寝室のことは皆目分かりません」

 「寝室のことか。もうそんな年でもなかろうに」

 「その通りかもしれませんが、K国に行った時のこともありますので」

 「K国で一時所在不明になった時に、特別な迎賓館に行ったようなことを言ってたが、やはり女で接待されたのか。だが、あの年でできるのかあ」

 「私は見たわけではないので、分かりません。ただ、帰国して、酒の席で、『あの晩はよかったぞう』なんて言っているのを聞いたことがあります」

 「まあ、話半分だろう。それに、仮にできたとしても、あの奥方とは、もうそんな気は失せるのじゃないのか」

 「正直な話、そうですね」

 「寝室の話というが、それでも、何か状況で、奥方の話をオヤジがそのまま聞いているくらいのことは分かるんじゃないか」

 「そうですね。おそらく、奥様の言ってることをそのまま聞いておられるようなことがしばしばあります」

 「たとえば」

 「具体的なことは申し上げられませんが、オヤジさんがこうだと決めたことを、一日たつと覆ることが何度もあります。それから、ご自宅に電話して、お手伝いなどにオヤジさんに取り次いでもらおうとすると、その前に奥様が突然出られて、あの件はこう決めたからね、などとおっしゃられることも、しばしばありました」

 「ふーん、やはりそうか。総理になる前の川さんへの金の話はどうだったんだ。あれについては、兼山先生は確かに出すと俺には言っていたが」

 大川の口調が、オヤジから兼山先生と他人行儀になる。

 「あれについては、やはり奥様です。当時は、先生もご覧になったかと思いますが、うちの事務所の一室に、現金が山積みになっていました。おおそよ、段ボール箱四十箱くらいです」

 「どのくらいの額なんだ」

 「一箱一億程度ですから、四十億です」

 「なに、そんなものがあの部屋にあったのか」

 「そうです。オヤジさんは、とりあえず二、三箱ずつ合計二十億くらいを、このビルの川上先生の事務所に持って行くようにおっしゃっていました」

 「その気はあったのだな」

 「はい。ですが、オヤジさんが川上先生にその旨を伝えようとした直前、奥様が入ってきて、『あなた、なんてことするの。どぶに捨てるようなことは止めなさい。川上は、あんたの金なんかなくても十分勝てるわよ』と言われて、それから五分ほどやりとりがあって、結局奥様の言い分通りになりました」

 「それを知っているのは」

 「お二人と私だけです。他の秘書は離れた別室にいましたので、誰も知らないはずです」

 「そうか。奥方は我々の批評もしているのか」

 「酒を飲むと、時々なさいます」

 「評判のいいのは誰だ」

「山本先生と羽山先生です」

 「ほう、どうして彼らなんだ」

 「山本先生については『短気だけど一本気で、何を考えているのかすぐ分かる』と言っていました。羽山先生については『誠実な男だ。人を裏切るようなことをしないと」

 「ふーん。それじゃ、俺とか淵田はどうなんだ」

 「どちらも『本心を表さない。何を考えているのかさっぱり分からない』とか言ってました。申し訳ありません。それから、『彼らはK国に対して冷たいように思う。大川は、兼山といっしょにK国に行ったけど、それは行きがかり上だ。兼山が実力者で、しかも金があるから、くっついているだけだ』ともおっしゃって、さすがに兼山先生も『あいつはそんなんじゃない』と言われてました。でも、奥様は『あなたはだまされているのよ』などおっしゃってました」

 「なるほど、そういうことか。おれは、奥方、奥様と愛嬌を振りまいていたが、相手の方が上手だったな」

 「えっ」

 「いや、何でもない。だが、俺が尋ねたこととはいえ、君はどうしてそんなことまでしゃっべってくれたのだ」

 「私は、オヤジさんに三十年ほど仕えていますが、どうも最近は、奥様に牛耳られ、まったくおかしくなったような気がします。このままでいいのか、という気持ちが強くなっていました。今日、大川先生に呼び出され、実はいい機会だと、すべてぶちまけようと思った次第です」

 「そうか、君も同じ思いだったのか。俺も、どうもそれを感じていたのだが、そんな思いを打ち消そうと躍起になっていたんだ。しかし、実際に、その通りであることが、よく分かったよ」

 「それに、逆に奥様とは違い、私は大川先生や淵田先生の方が好きなのです。兼山の秘書がこんなことを言っては叱られますが、本当のことです」

 「そうか、ありがとう。俺だけの胸にしまっておくよ。今日は、本当にありがとう。また、話をしよう」

 そういうと、大川は立ち上がった。

 「仕事が残っているのでこれで失礼するよ。また呼び出すと思うけど、来てくれよ」

 「はい、分かりました」

 料亭を出た大川は、車に乗り込んで、党本部に向かった。