東日本大震災から13年目となりました | 時代のセンサーⅢ〈希望ある未来を志向して〉

時代のセンサーⅢ〈希望ある未来を志向して〉

今の時代を生きる日本人の一人として、日本及び世界を自らの知見に基づき見つめ考えることを通して、希望ある未来を志向して行きたいと思います。

11日で東日本大震災から13年が経ちました。これについてはこれまでもその都度取り上げて来ましたが、節目に当たって、その余りにも巨大な地震がもたらした影響の大きさを感じます。

ここでは3年前に述べたものを改めて記したいと思います。

 

・・様々な思いが錯綜します。マグニチュード9というそれまで耳にしたことがないような巨大地震が突然起きた、ということ、それに伴い高さが15mを超える巨大津波が大平洋沿岸を襲い、1万数千人もの犠牲者が出た、ということ..。
数百年に一度と言われる地震が起きたのが、何故あの時だったのか?と問うたところで、せんないことであることは分かっていても、何故あれだけの犠牲者を出すことになったのか?事前にそのような想像を絶する巨大地震が発生する可能性があることを、何故誰も指摘できなかったのか?ということを感じます。
〈科学の限界〉と言われればそれまでのことなのですが、一方で科学は原子力を実用化することに役立ち、それにより原子力発電が商業化されました。そして、原発は「絶対安全」を謳い文句にして我々国民もそれを疑うことなく、信じ込んでいました。
しかし、巨大津波によってその『神話』は幻想であったことが白日の元に明らかとなりました。その人間の想像力をはるかに超える巨大津波は、我が母なる地球の大自然の営み(地殻変動)の一部であって、その前に人間は余りにも無力です。
そして、科学もまた無力であったということであり、人間にとっての科学とは何ぞや?ということが素朴な疑問として浮かび上がってきます。

つまり、原発を生み出した科学は、科学では捉えきれない巨大地震及び津波によって破壊され、人間にとって数十年もの間〈有害〉となる物に変えられてしまった、ということです。
言い換えると、人類は科学の使い方を根本的に間違って来たのではないか?ということです。すなわち、原発という基本的に危険極まりない代物を作るのではなく、地球がもたらす地震などのリスクを人間が回避することができるための、何がしかのツール(予測システム等)を作ることなどに注力すべきだったのでないか、という思いを禁じ得ないのです。