数年前の
徳川ゆかりの地 巡礼のお話
増上寺の安国殿脇の小径から徳川霊廟へ行ける。
霊廟拝観した時の資料によると、当時の芝公園一帯が全て豪華絢爛な国宝級の徳川家の廟所だったらしい。
日光東照宮や大猷院が芝公園含めた周辺にいくつもあるようなもの。
しかし戦災により、宝塔を安置してきた木造は全て焼失。発掘された土葬の遺体は、綿密な調査が行われた後、東京・桐ヶ谷にて荼毘にふされた後、宝塔と共に現墓所に一ヶ所にまとめて改葬された。
小雨がパラつく中、一人で宝塔群と対面するのは畏れ多い気持ちになる。
15代存続した徳川家の天下太平
これからの日本の安寧を見守ってくださいと祈りを込めて。
以下HPより↓↓
当山に埋葬されているのは
二代秀忠
五代将軍兄弟の綱重
六代家宣
七代家継
九代家重十二代家慶
十四代家茂 の6人の将軍の他
女性では将軍正室として
二代秀忠夫人崇源院
六代家宣夫人天英院
十一代家斉夫人広大院
十三代家定夫人天親院
十四代家茂夫人静寛院の5人
将軍の側室としては
三代家光の桂昌院
六代家宣の月光院など5人
その他、将軍の子女を含む計38人です。
正面右側に二代秀忠公の墓所があります。焼失前の宝塔は霊廟室内に祀られ、大変大きなものでありました。しかし、惜しくも木造のため、戦災で焼失。現在は、内室崇源院(お江の方)と共に合祀されています。
静寛院和宮の宝塔は当時のもので、実際、家茂公と並んで祀られていました。
宝塔の形は御夫婦同じ物でありましたが、家茂の石塔に対して青銅製です。
勝運を招く黒本尊(くろほんぞん)
黒本尊御前立
恵心僧都(えしんそうず)源信の作とも伝えられるこの阿弥陀如来像を家康公は深く尊崇し、陣中にも奉持して戦の勝利を祈願しました。その歿後増上寺に奉納され、勝運、災難除けの霊験あらたかな仏として、江戸以来広く庶民の尊崇を集めています。黒本尊の名は、永い年月の間の香煙で黒ずんでいること、また、人々の悪事災難を一身に受けとめて御躰が黒くなったことなどによります。やはり家康公の命名といわれています。
☝︎ここまでが抜粋
残念ながら、暫くは拝観は中止となっています。
1日も早くいつもの日常が戻ってきますように✨
住所 : 東京都港区芝公園4-7-3
以下ブログ「つわものどもが夢の跡」ご紹介↓↓
トリップサーフィンへ行ってらっしゃい✨
http://fanblogs.jp/shirononagori/archive/216/0