「復興」オリンピックはトップダウンではなく、ボトムアップとして機運を盛り上げていくところに東京との対照性をアピールできる。


その点に「復興」オリンピックとは一体何のためにやるのかという問いかけにもなる。


ボクはポスト復興のグランドデザインとして地元住民発で絵を描いていきたい。


出来るだけ首都圏の価値観を廃して気を使わず、あるがままに。


ボクは首都圏の一元的な価値観で絶対的に従わせる風潮にダイバーシティの観点から疑念を抱いているので、価値相対主義的にリスペクトしながら聴くことができる。


むしろ、その姿勢でなければ地域主導は絵空事で終わる。


実際、討論番組で一番面白いと定評あるこの番組も首都圏の価値観を絶対的に入れないことを徹底しているのでクオリティが保たれている。http://youtu.be/HM5I9qF_2UQ






昨日ある学部生から選挙に行っても意味があるのですか。と質問された。


右肩上がりの時代なら意味が無いと言えるところもあったが、今はナアナアにしていたら負担を若い世代に押しつけられるので、知らない間に従わされるのが嫌なら選挙で意思表示するしかない。と一応答えた。


でも、変わらないという実感はあるんやろな。


右肩上がりの時は特にそういう認識だったから、書物で学んだ理想主義に燃えた若者が直接的手段に訴えて左翼活動に走ったんだろうなと思う。実際、それにより政治判断に影響を与えていたことも事実やし。


それに比べて今の大学生は自己満足がという批判もあるが、「貢献」という生産的な方向に走っているので、その方が健全だと思う。


札幌で、若かりし頃学生運動に青春を費やしたオバちゃんにそのことを力説したら、「お前に喰わせるメシはねえ。二度と店に来るな」と追い出されたけどなべーっだ!






ボクが持つイメージの「追随・内向き」といった東北気質を変える可能性を昨日交流した学部生達は持っている。


震災がきっかけかもしれないが、東北が首都圏レジームから脱却し、誇りある地域に生まれ変わるには、注目されている今以外に大きなチャンスはない。


「禍転じて福となす」ことが犠牲になられた方への供養や。



イメージとして第二次世界大戦敗戦後からの日本の復興が念頭にある。






しかし復興後は注目されないことでそのエネルギーを失い、元の黙阿弥に戻りそうや。


だから、東北「復興」オリンピック招致プロジェクトが大きな意味を持ってくる。


国内外問わず東北域外における東北の誇りと良い意味での自我意識を高めるためには、やるべきやと思う。


「札幌や長野で出来たのに東北で出来んことは無いやろ」というように、首都圏以外に目を向けさせて「進取・積極」の文化を構築していきたい。


そのプロセスの中でモチベーションが「涵養」されてくると考える。


少なくとも、気軽に東北弁を東北域外で話しても「全くおかしないやろ。関西弁を話しとるのと同じやで」と普通に言えるところを到達点に設定したい。






また、「ドラマで犯人が東北出身者として仕立て上げられ、腹が立つ。そのイメージを変えたい」と言われた。


それについては、関西人を犯人にすると人権意識が高いから、すぐクレームが来るけど、東北では初等教育でそういうことをやらないし、首都圏発だから萎縮してしまい、みんな黙ったままになるので、やりやすい。と自分の分析を答えた。


メディアは人に対して簡単に表層的なクレームをつけるのは得意だが、法的観点を踏まえた強い意志を持った人からのクレームには弱い。(詳しくは橋下市長と各種メディアの質疑応答の様子を写したyoutube映像参照。手詰まってきたので批判は政策ではなくパーソナリティ攻撃に向かう傾向がある。メディアも支持率低下を喧伝し必死さを感じる。今度の選挙はメディア・リテラシーの観点で見るとヘタなクイズ番組よりもボクには面白い。)


だから、安全な方に行くのだろう。


1年前から他SNSで主張し続けている通り、東北では関西で初等教育でやるレベルの人権教育を行うことの必要性を感じる。


寝た子を起こすな。パンドラの箱を空けることになると言われるが、封建社会の残滓を一掃し、人間がしてはならないことは何かを明確にする一基準を与えることが、イノベーションへの第一歩となると信じて疑わない。


実際、オレが関西並みにそれをやっていこうかなと思うことも多々ある。


色んな団体が介入し、左翼の悪しき平等と解釈されそうだが、関西の地元では一般に某保守政党王国と言われているにも関わらず、教育される。


他地域で論拠としている基準を理解し、首都圏レジームから脱却し、市民発でイメージを守らなければ今後もずっと同じ流れのままや。






固定観念に疑問を持つ若者からボトムアップで湧きあがる情熱、これしか東北でイノベーションを起こせない。


同質性を重んじる故、世間体を特に気にする東北人が羞恥心と何処まで折り合いをつけられるかやな。


良し悪しは読者様の価値判断にゆだねるが、これが武家封建社会の残滓でイノベーションの足枷なっているというのボクの仮説や。


今まで「坂本龍馬」がこの地に現れなかったことが今日の気質に繋がっているだろう。



ボクは勿論、坂本龍馬ほどのカリスマ性はないが、いつも心の中で「ワシは北の龍馬やで」とつぶやきながら意識した行動をとり、ここにいる間、新たな風を吹き込む活動を一人でも折れずにやっていく。


むしろ、「北日本の夜明け」を追求することしか、ボクがこの地に居る存在意義を見いだせない。


「進取・積極」な価値を追求し続けなければ、外国人が日本人に対して抱くステレオタイプ「裏で何を考えているか分からず怖い。」の典型な気質の中に身を置き後ろ向きに生きるのはボクノ性格から考えてツラすぎる。


それで賛否両論の議論を若者や地元住民の中で巻き起こせることが出来れは一定の役割は果たせたと言える。


そこから覚醒して地元から動き始める人が出てくれば尚良い。


そのためには、自分の意見を話させてくれる場があればあらゆるところに顔を出し、思いを全て語ってくる。






来週は「大風呂敷」を広げるスキルを学ぶ為に岩手・水沢に行って、後藤新平について考えようと思う。


東北で大風呂敷を広げられる人が現れないかなあ。むしろそこは北海道にライバル意識を持ってほしいパー





追伸:多聞くん、貴重な場にお誘い頂き、ありがとうございました。感謝。