久しぶりに投稿します。また、思ったことを徒然なるままに…。


寒いと人肌が恋しくなる。それは恋愛の季節なのか。恋愛となると、浮気っていう言葉がセットでもれなくついてくる。恋愛を語ると、だいたい浮気についてどう捉え、どう向き合うか、みたいな流れになる。人によってそれこそ、考え方は異なるだろう。性別によっても大きく違う。

自分が声を大にして言いたいのは、男=浮気するもんっていう考えをもつ女性、そんなことはないぞ!てこと。そんなステレオ的論調に激しい怒りが沸く!断っておくが、自分は浮気はしないし、しようと試みたこともない。そこまで器用じゃないこと、気力がもたないこと、こまごま面倒な気遣い、諸々の理由がある。オスの浮気心は否定しないが、だからといってすべてのオスが、本命以外のメスと性交渉をもつわけではない。ある意味では、実際に浮気をする同性を尊敬します。快楽って、禁断の果実なのかな。得るものと失うものを秤にかければ、自分は美味しいとわかってても林檎はかじらない。

それに、男が浮気するには相手の存在が必要。ってことは少なくとも、相手の男には本命(または別の女)が居ると知りつつも関係を続けられる女性の存在があるってこと。この世の女性、種としてのメスが、婚姻関係または本命の女性いる男とは関係をもたないって結託するなり、本質的にそういうつくりになってしまえば、浮気に絡む愛憎劇は生まれないだろう。だが、悲しいかなそうはいかない。女性って自分が一番愛されているって盲信的に信じることができるんだろうから。まぁ、そういった女性の心理につけこむ男は糞以外の何物でもないが。

自分が言いたいのは、男性弁護ではない。女性はもっと、浅はかで下半身別人格的で、寂しがりで見栄っぱりっていう男って生き物を冷静に研究し、無知による失敗で傷つき恋愛恐怖症にならないでほしいってこと。確かに、性欲処理のために女性を私有したがる野郎はいる。だが、それで男ってやつを諦めないでほしい。

そんな男だと、そいつの本性をしってても赦し付き合える女性は女神だし菩薩さまだし聖母だ。

話は飛びますが、

格差是正とか差別撤廃を唱えると、確かに理想的で美しく響き、人格的で道徳的な人物に見える。でも、安易にそれを唱えることは危険だと思う。格差も差別もない世界は、素晴らしいと思う。でも、実際は違うしそんな世界を知らないから本当にそれが幸福か立証できない。あくまでも持論ですが、当初はもっと暮らしがよくなりたい、いじめや抑圧がなくなれば良いって願いが、だんだん憎しみも相まって、あいつより、とかあいつらさえいなければって心理に変わっていく。対等、平等、公平、を願うならいい。でも、人間ってそんなガンジー的か?みんな同じ、よりやつよりも良く、ってほうが本能的じゃないか。

格差是正、差別撤廃を目指すグループが盛り返し、いつか平行になり、追い越すと、片方のグループを赦し優遇するだろうか?逆差別になりはしないか?

中年のキャリアウーマンに見られがちなのが女尊男卑思考。今や、女性の活躍なくしては社会は成り立たない現実。ここにも、逆差別が生まれる条件が満たされている。そもそも、男と女の脳味噌の造りは違うらしい。だとしたら、女性が活躍できる仕事、男性が活躍できる仕事があって当然。男女雇用機会均等は良いが、それで能力の差によって差別するのはおかしい。それは差別じゃなく区別と捉えるべき。

なんにせよ、ステレオ的思考で、詳しく考えたり調べたりせず結論を出すことは嫌いだ。


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久しぶりの投稿です。

最近、ビビっときた言葉は、「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである」です。アインシュタインが云った言葉らしいです。これをどう解釈するかは、本当に人それぞれでしょう。自分が、率直に感じたことは、誰も思い付かずなし得ないことをやってのける人物はやっぱり、どこか変だってこと。そして、それは悪いことじゃないってこと。右に倣えばかりの選択では、個性は輝かないし、人類史に残る偉業は達成できない。
集団行動、協調性、大人のエゴイズムがつくる金型にはめ込もうとする学校教育では、偉業をなしとげる変人は生まれない。
常識って、社会で暮らすための取説みたいなもの。必要だけど、それだけじゃつまらない。今、クールジャパンってあるけど、オタク文化はそういう意味では常識とは対象的。なんか変だなって思われるくらいじゃなきゃ、新しいものは創造できない。

でも、いつか新しいものも常識となっていってしまう。その繰り返し、世代交代が健全なんだろうね。

常識を語りだしたら終わりだと言い聞かせている。柔軟性と寛容性を失って思考停止に陥っている証拠だから。常識も知りつつ、それにとらわれない自由さを忘れないようにしたい。そのためにも「それおかしくないか?!」っていう怒りを持ち続けたい。怒りは、自己の発現だと思う。怒りがなきゃ、ただ大勢に洗脳されているだけのイエスマンになってしまう。もっと怒ろうよって言いたい!常識なんて蜃気楼みたいなもの。





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皆さんはいかがお過ごしでしょうか?自分は、いろんなことを考えさせられる毎日です。震災のこと、原発事故の政府の対応と椅子とりゲームに必死な国会議員、放射能で住む街を追われた人たちと、転校せざるを得ない学生のこと、命の尊さを震災で何も学ばない人殺しのこと、ゴミを平気で公共に捨てる輩と綺麗にする人たち、無駄に追い越しをかける長距離トラック、理不尽なお客様、なでしこジャパン、男子サッカーのおもしろさ、老いが見え始めた愛犬、帰ってこない愛猫、痩せていく身体、断続的な喫煙と禁煙、将来への希望と焦燥感…

自分は早く大人になりたがりなガキだった。ガキ独りじゃ社会で個人として認められないことが不満で仕方がなかった。何をするにも、保護者の名前を借りなきゃならない。申し訳なさと、無力感が辛かった。

しかし、いざ大人の登竜門をくぐってみると、あの頃想い描いていた景色とだいぶ違うことに愕然とした。その感覚は言葉で表現することは難しい。でも、反面教師はたくさん居る!

嫉妬、羨望、欲望、恨み、嫌味、陰口…利用し利用される螺旋、それが人間だという開き直り、それが大人だという諦めと言い訳、腹の探りあい、etc…そんなのは見たくないし飽き飽きだ!

この感覚を忘れてしまったらおしまいだと自分に言い聞かせる。旧世代への反感の連鎖で新時代は作られるんだろう。そして、お役ごめんの日がいつか来たら、自分は喜んで新世代にバトンを渡そう。「老兵は死なず、ただ去るのみ」好きな言葉。

好きな大人も居る。大抵は何かを創作する人たち。大人の中に無邪気な子供が内在することを否定せず、むしろ武器にしているから!

甘いと言われるのなら、大いに構わない。妥協して、対岸の岸に渡るよりましだ。「それが大人」と言うのなら、大人になんかなりたくない!




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