マリーアントワネットのお兄さんレオポルド | 女子の為のの世界史講座

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面白いエピソードとともに比較文化論を交えながら、解説させていただきます。

レオポルドというドイツ製の強力な戦車がありますが、ここでは、温厚で誠実なトスカーナ大公であったレオポルド一世のお話をします。

 どんな殿方かと申し上げると、あの有名なマリーアントワネットのお兄さんです。お母さんが、女帝と言われたマリア・テレジアで、お兄さんはヨゼフ2世です。

お父さんフランツ1世が崩御されると、神聖ローマ帝国の帝位とオーストリア大公位を長男であるお兄さんのヨゼフ2世が引き継いだのです。

兄さんのヨゼフ2世は体が弱く、直ぐになくなってしまいました。後を継ぐ嫡男のいなかったので、弟であるレオポルドにお鉢が回ってきたのでした。 

 レオポルドの治世中、妹マリー・アントワネットヴァレンヌ逃亡事件がおこり、彼女を助けようとした。先に、脱出に成功した国王ルイ16世の弟君であるアルトワ伯爵(後のシャルル10世)を介して、プロセイン王フリードリッヒ・ヴィルヘルムとともに※ピルニッツ宣言を行った。

 この事件とこの宣言は、とてつもなく重要でフランス革命戦争への導火線となっていった。親切が仇となってしまった・・・

 

 

 

※ピルニッツ宣言 「フランス国王の現状は、ヨーロッパ全主権者の共通する利害」にかかわる問題であって、フランス国王を「完全に自由な状態」にするために両国王は「必要な武力を用いて直ちに行動をおこす」(1971に神聖ローマ皇帝レオポルト2世とプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世が共同で発した宣言)